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下薗英樹(しもぞのひでき)−コンクリートの景色−
「月と山」2004(メキシコ)
まわる世界をみている
TEXT 草木マリ

「新しい店が入るまでに時間のあるテナントがあって…」あたためてたプランにちょうどいい場所を見つけたのでやってみようと思う、と聞いたのは会期までひと月あるかなあという頃だったと思う。
照明器具は取り外され天井からは配線だけが垂れさがり、壁もはがされ基礎のコンクリートがむき出しになった小さなテナントビルの一室。これが今回、下薗の選んだ〈素材〉だった。

会場には壁や天井のコンクリートを削り落として、いくつかのオブジェが刻まれた。
飛行機。旗。ショベルカー。
その肌はいたいたしくも、屈強で少し湿気ったにおいのする見慣れたコンクリート。
しかしその下に降り積もった粉は、それとは対照的に軽くはかなげである。

これまでも彼は、〈素材〉を昇華させるような制作をしてきた。
水が氷や蒸気になるように、コンクリートも姿を変える。固体から粉末へ。たとえばそれが紐であっても机であっても、羊の毛であっても。本質はそのまま〈もの〉は形を変える。
彼が実際手がける作業はとても破壊的なもので、角材をへし折ったり、板をたわませたり、編まれた紐や布をほどいたり、家具を粉々にしたりする。そう、力技。ときには暴力的なまでに。だけど、その作業の果てに現れる作品は、ふしぎととても静かで、思いがけない変容をとげるのだ。
頭ではわかっていても、質感とボリュームの差異に、はっとする。
   
  左.「ショベルカーで作った山」2005
右.「ショベルカーで作った山」2005(部分)
 
どしゃ降りの地面。
伸びようとする枯れた森。
砂漠の果てにみえる小さな丘。
どこかの国の広大な田畑、あぜ道。
山のうえに浮かぶ三日月。

ただ〈もの〉がそこにあるだけなのに、なぜかそんな風に見えてくる。
なにやらやけに壮大な妄想をしたくなる装置なのだ。

下薗の作品はいつもなにかしら曖昧だ。
創造なのか、解体なのか。
未来なのか過去なのか。
ビデオの巻き戻しのようであり、早送りのようでもあり。
そしてそのどれでもないもののようであり。
わたしはこの「なにでもない」感じが気に入っている。
「なにでもない」ということは、同時に「すべてになりうる」という気がするから。
ひとつの輪の中で繰り返される営みの一部始終を、少し俯瞰してみている気分。
世界の終わりと始まりの結び目にあるのかも。というと、ほめ過ぎかな。

とはいえ、実際そこにあったのはたぶん、短期間の準備に追わればたばたと過ぎていく日々。
ごくありふれた風景である。
なんでもない風景。そこにはやっぱり、世界のすべてがあるのかもしれない。

「コンクリートの景色」会場外観
下薗英樹(しもぞのひでき)
−コンクリートの景色−


信濃橋大新ビル1F(大阪)
2005年5月14日(土)ー5月22日(日)

著者プロフィールや、近況など。

草木マリ(くさきまり)

1976年京都府生まれ。
1999年成安造形大学造形学部卒業。
京都芸術センターで1年間のアシスタントスタッフを経て、
現在、大阪成蹊大学芸術学部綜合芸術研究センター勤務。

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