top\reviews[祈り−殿敷侃へのオマージュ/ダニ・カラヴァン/福岡]
祈り−殿敷侃へのオマージュ/ダニ・カラヴァン
PHOTO 阿佐美淑子
(※現在は展示されていません)



殿敷 侃(1991)
TYRE BEARING TREE (PLAN7)
(※現在は展示されていません)
6年ぶり、わずか6日間だけ・・・
姿を見せた赤い糸


 殿敷侃(とのしき・ただし/1942〜1992年)は、50歳という若さで他界した。広島生まれの彼は3歳で被爆、1965年、原爆症による肝炎入院をきっかけに作家活動を始める。被爆体験をベースにした作品、社会への不条理に対する作品を多数発表した作家である。
 私は、1991年、第14回現代日本彫刻展で、彼の遺作とも呼ぶべき作品「TYRE BEARING TREE(PLAN7)」を見た。これは立木18本にタイヤ800個をくくりつけるという作品で、彼の社会への強烈な批判的・挑発的な姿勢に、当時の私は戸惑った。翌年彼は亡くなっている。
 カラヴァンは殿敷とパリで一度だけしか会っていないらしい。しかし、その時ユダヤ人としての自身の体験を重ね、よほど深く共感したらしく、殿敷の訃報を知った時「こういう美術家がいたことを後世に伝えなければ」と誓う。その誓い通り、殿敷への純粋な鎮魂の作品だった。
 さて、《祈り―殿敷侃へのオマージュ》は、北九州市立美術館別館のテラスに展示されていた。カラヴァン自身が選んだこの場所は、殿敷の住んだ山口を望む方角に当たる。6年ぶり、わずか6日間の展示である。
 暗い版画室を通って奥の重いドアを開けると、窓越しの視界には、コンクリート、空、一対の階段・・・それが全ての世界。階段は木製・六段。左右対称に分割されていて、その内側の壁は白く塗られている。この白で導かれる隙間が妙に気になる。空白の白でも、消去の白でも、汚れてしまったことを悔いるような白でもなく、罪なく光る素顔の温かい白だった。外側の壁は金箔。野外設置のため剥がれてはいるが、静かに生命の眩しさを見せている。一段、また一段と私の目が階段を登る。何かを持ったまま、何かに絡まったままの気持ちでは最初の一歩さえ踏み出せそうにない。最終段は六段目ではなく終わりのない天上なのであろう。
 カラヴァンの宇宙観・思想的なもの、倫理観、芸術の政治的意味…といったことなど、考える気にならなかった。文化や政治的なものに支配されることない人間の本質・根源・・・カラヴァンと殿敷との他を寄せ付けない絆に、胸がいっぱいだった。ただ、《ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ》(注1)のことは思い出したが、「ある朝、場所がわたしに語りかけた」(注2)とカラヴァン自身が言うように、特定の場所を強く縁取ったポルト・ボウ(スペイン)のモニュメントとは少し違う印象である。
 この日、私は「佐藤忠良展」のため来館した。念願のカラヴァンの作品とは思いもよらない出会だった。しかも、私の住む、宇部に縁のある殿敷侃への作品・・・これは赤い糸だわ、などと思いながら、ふとキャプションに気付くと、「この作品は、彼と、1945年8月6日に広島に投下された原爆の犠牲者に捧げられる」という、氏の言葉が記されていた。
 「平和はまずあなた自身から始めなければならない」(注3)
PHOTO 阿佐美淑子(※現在は展示されていません)

(注1)《ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ》(1990−94)
ナチスに終われたドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンはフランスからスペインに逃げる途中、国境付近のポルト・ボウの街で服毒自殺する。カラヴァンはこの偉大な哲学者に捧げるモニュメントをこの地に制作している。「無名の人々を敬うことは、著名な人々のそれよりも難しい。歴史の構築は無名の人々の記憶にささげられる」と、書かれたガラスが一枚入っている。

(注2および3)酒井忠康 著/出版社 未知谷/2003年発行/「彫刻家への手紙ー現代彫刻の世界」より/『カラヴァンと共に』から抜粋

TEXT 友利香

祈り−殿敷侃へのオマージュ/ダニ・カラヴァン

北九州市立美術館
3月15日〜3月21日

著者プロフィールや、近況など。

友利香(ともとしかおり)

「彫刻の街」山口県宇部市在住。子供を通じて児童心理と絵画との関係に興味を持つ。
真の開眼は若林奮。好きな作家は柳原義達から会田誠と幅広い。
現在、アートを広めようとボランティア活動中。
宇部の彫刻


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