静けさ、激しさ。
小栗沙弥子、深谷直子(音:DJ Peaky)、水野勝規、百合草尚子によるグループショー。4名それぞれが+Gallery全館を隅々まで使って作品を展開。怪しげな地下実験室の様な空間を出現させ、他の作家の展示スペースまでチューブを侵食させた深谷。半獣(半菜)半人の脱力キャラクターが登場する百合草尚子の(ウォール)ペインティング。モノクロの風景をストイックな映像作品に仕上げた水野。そして、最も印象に残った小栗沙弥子の作品である。彼女はギャラリーの1階部分(普段は展示スペースではなく、ギャラリーの事務所、ライブラリーとして機能している場所)を使用し、そこに寄生するかのように、グラシン紙でできた巨大な構造体を出現させた。それ自身では自立できず、その存在を外界に依存し、多くの天蚕糸による補助を考えると構造体というにはあまりに貧弱である。なにより半透明であるグラシン紙という素材を選択した時点で、作品のアイデンティティの喪失が作家の狙いではないかと思えたりもする。しかし、薄くて破れやすいグラシン紙を張り合わせてできたその作品の向こうに見える「慎重で途方もない作業」は、それを伝えるには充分である。
同じようにギャラリーに寄生するかたちで、腰の高さほどの作品がある。「小屋」と名付けられたその作品は、すぐさま脳裏に思い浮かぶ「小屋らしい小屋」であった。三角屋根で木製。どこか見窄らしい雰囲気がただよっている。しかし、よくよく見るとそれが紙で出来ていることに気づく。茶色いクラフト紙に水彩絵の具で木目がペイントされている。この一見無意味なフェイクが、このショーに寄せられたステートメントの核心を物語っている。
何という静けさ。馬鹿馬鹿しいまでの激しさ。
そこは世界と向き合うひたむきさと虚ろなむなしさが同居しています。
しかしそのひずみを持った世界は時として私たちに楽園のような心地よさを与えてもくれるのです。
(PARA/DICE パラ・ダイス」展ステートメントより)
寄生というと、初期の川俣正やクリストの作品を思い起こす。彼等の作品は寄生することで客体が主体を異化(作品化)させる。だが、小栗の作品は異化させることも同化することなく、「異物」としてそこに存在する。そして、その存在(感)は身体のちょっとした変調や違和感のように、明確な言葉にして伝えるのが難しい。しかし、それすら小栗の作品の魅力のひとつであることは間違いない。
TEXT 野田利也
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