展覧会は終わった
銀座には時々行く。
画材屋で買い物して、デパートをひやかして、ちょっとギャラリー巡り。
どちらかというとのんびり見られる企業が経営しているようなギャラリーに行くことが多い。
「池田朗子展」は、小さい画廊が集まる古いビルの地下で行われているところをたまたま見つけた。スペースは階段下で大変狭く、また薄暗いので私は天井に頭をぶつけてしまった。
池田朗子という名前を私は知らなかった。銀座では珍しい(ような気がする)映像作品の展示。プロジェクターから白壁に投影される画面も、スペースに似つかわしく小さめだ。映し出されるのは、車窓からの風景。日本のどこかだろうか。流れる田んぼ、流れる家々、流れる川。
みどり色の田んぼの上に、いつまでも画面から流れ出ない小さい水色が見えた。
これはなんだろう…?
横長で、羽があって…。そうか。飛行機か。
練り消しか何かでつくられた小さなヒコーキが、電車の窓に貼り付いているのだ。それを作者は車内から、あたかも本物の飛行機が日本のどこかをゆうゆうと飛んでいるかのように撮影している。
気付いた瞬間、思わずふふっと笑ってしまった。
その装置のあまりの些細さに。
学生の頃、車窓からの景色に想像上の忍者を飛ばして、片道一時間通学の暇をつぶしていたことを思い出した。行き過ぎてゆく建物を次々と飛び越えながら、どこまでもついてくる忍者。
池田の発想はこの私の妄想とだぶる。
実際数センチもないであろう小さなヒコーキが窓にくっついて、後ろに広がる景色の中を一生懸命「飛んでいる」姿は、愛らしいというかいじましい。
見ていると、ヒコーキはただ画面の中央に位置したままではない。画面上方に寄っていったり、わずかに引き気味で撮られたりと、微妙にカメラワークも考えられているようだ。天井にとりつけられたスピーカーから流れてくる電車の走行音を無視すれば、なんとなく本当に飛行機が飛んでいるような気もしてくる。窓についた練り消しを撮っているだけの映像なのに、なんとまあ想像力とは偉大である。銀座の片隅のこんな薄どんよりしたスペースで、どこかの郊外のすがすがしい田園風景の上を飛ぶというのも、不思議な経験だ。
なんて、陶酔しかけているときに限ってヒコーキの下に同サイズの通行人が被ったりして、現実に引き戻されるのであった。
やがて車内に「まもなくぎふえき〜、しゅうてんです」のアナウンスが流れ、
ヒコーキはJR岐阜駅のホームの上にゆっくりと着陸する。
私は漠然と南東北あたりを予想していたのだが、そうか、岐阜だったのか。
こうして、電車一区間分の小旅行は終わった。気付けば私は、作品を見ていた数分の間ずっとにやにやと笑っていた。
ギャラリーの外に出て観察していたら、他の人もみんな出てくるとき笑っていた。ふたり連れの人も、ひとりで来ていた人も。
笑っていたのが自分だけでなかったことに少し安心し、また嬉しくなり、私はにやけた頬を直しながら銀座を後にした。
TEXT 石山さやか
著者プロフィールや、近況など。
石山さやか(いしやまさやか)
1981年埼玉県生まれ
2003年創形美術学校卒
現在フリーター。イラストと文章少々書けます。
現代美術はまあまあ好きです。 |
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