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岡本義朗インタビュー

ザビエル聖堂(2002)
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シテ島(2002)
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PARK(2003)
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バルシアの街角(2003)
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アトリエ(2004)
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バル(2004)
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  岡本義朗さん
INTERVIEWER 友利香

「兄貴的存在」として、山口県山口市の若いアーティストたちから慕われている岡本義朗さん。どんな時もどんな人にも、心の窓を気持ちよく開かせる…そのような作品を描かれます。今回は岡本さんのアトリエでお話を伺いました。



友利
こんにちは。岡本さんの奥様は版画をされるのですね。ええ〜っ!?この書きかけの絵は岡本さんの作品ですか?確か「ザビエル聖堂」のような抽象絵画だったような…


岡本
そうですね。大学時代からずっと抽象絵画を描いてきましたが、2002年の終わりから、「シテ島」以降、バリバリの具象絵画しか描いてません。

友利
何か心境の変化でもあったのですか?


岡本
よく聞かれるのですが、いつも、頭でも打ったのでしょうね、と答えているのです(笑)。実際頭でも打ったとしか思えませんね(笑)。と言うのも冗談半分、本気半分です。あえて言うなら、熟した柿が落ちたら潰れた…でしょうね。

友利
といいますと、具象絵画やドローイングへの移行は自然現象だったと…


岡本
あの頃「もうダメ!才能ナシ男だー死んじゃえー」なんて思って、本当に抽象絵画描いてた岡本さんは死んじゃった(笑)。することないから、また絵を描いてたりするんですね。ちょうどその時、5日後に締め切りが迫った山口県美術展を知って、100号を5日で描き上げたんですよ。

友利
ええっーー!5日間で?

岡本
それまで油絵オンリーだったのですが、ペンキ使うわ、マジック使うわ、バックは銀色…ゲージツ至上主義者?!だった僕としてはタブーだったことを色々やったんです。それとうちの奥さんに「今回5日で描くのに俺がエンジンやるから、君は船長やれ!」と言いました。誰がなんて言おうと聞く耳持たなかった僕が、彼女の講評に従って描く。という実験をしたんです。で、見事入賞しました。この実験からわかったことは「人の話を聞くことは、すごい強力」ということです。

友利
ちょっと待ってください・・・岡本さんの作品には、気取りのない、きらきらした光・陽を感じてましたが・・・実際は苦しみながらの作品だったのですか?


岡本
毎日絵の具と格闘していましたよ。僕の描く抽象絵画は、やみくもに、ただひたすら内面を追求する仕事でした。究極、自分以外の人間はいらないし発言も必要ない、作品が出来ても自分以外にわかる人間もいらない!という、今からみればモーレツな自己満足な世界だったわけです。ですから自分の心のささやきさえ聞こえませんでした。いや、心が何か言おうとしても黙殺していたり、「ぬるい!」と叱りつけていた。心身疲れて、弱っていたのでしょうね・・・そんな時、「人はええ事言うなー」と思い始めてから、「自分の事も聞いたれやー」となりました。自己満足ではありますが、だからこそ「僕の抽象はスゴイ!」、なんちゃって。でもかなり辛い。何から何まで全て一人でしょいこんでいるから。でも今は僕の絵を講評してくれる人たちがいます。僕は「チーム」と呼んでいます。それは僕の奥さんを始め、友人や後輩、亡くなった巨匠陣まで含まれます。予備校で教えていた時の生徒までが、シブいところを突いてきますからね。その度に僕は悶えています。けれども彼らの声は神の声。絵を描くのは僕一人ですが、僕の脳の及ばない所を彼らが補完してくれてます。全て一人でやりあげた時の達成感・恍惚感・開放感というのは、えも言われぬ喜びですが、「チーム」で作り上げる楽しさも素晴らしいものです。

友利
でも、岡本さんご自身のモチーフは変わってないですね。


岡本
ええ。実際、抽象の時のモチーフも具象のそれも同じ、ただの風景です。ただその現れ方がより心象に近いか目に見える世界に近いかの違いなんです。「俺が!俺が!」という絵をやめてみたら、「絵が岡本さんらしいね」と言われるようになりました(笑)。自分の心の声に従って動いていたら、次々に場面が展開し始めました。当然ですが、ひきこもって描いていた頃は何も動かなかった風景が、実際にいろんな所に動いて行く。

友利
今年1月、山口県立美術館「ピカソ展」で配布された文庫本『ピカソ、その瞳を愛して』の挿絵としてイラストを担当されたのも、その一つですね。


岡本
そうなんです。イラストは今まで知らなかった世界です。自分の世界からはちょっと難易度が高いので、「コンチクショー!」と思って夢中になってやりましたよ。おかげで、なんとかクリアできました。

友利
これは、大好評でしたね。私も人から「このカットどなたが、描かれたの?」と尋ねられましたから。これからも、どんどん変わっていく風景にワクワクですね。


岡本
伸びる自分を体感する喜びを知ってしまいましたからねー。どこまで行けるかわかりませんが、僕と「チーム」で見たことのない風景を見たい!

友利
岡本さんにとって「絵」とは何でしょうか?


岡本
「どこかへ自分を連れて行ってくれるもの」です。

友利
うわっ、楽しみですね。今日はありがとうございました。


岡本
いやいや、自分を整理するのに、良い機会になりました。こちらこそありがとうございました。

友利
・・・私がシメなきゃいけないのですが・・・。


制作意欲が強いが故に、「越えられるのか…」というような大きな波がやってくるものなのでしょうか。その都度、自分と制作という関係を見つめ直し、変えていく。これは何事にも通じることでしょう。アーティストの成長をそっと見ていくことは、鑑賞者の喜びですし、役割かもしれませんね。

 

岡本義朗(おかもと よしろう)

1973   山口県宇部市生まれ
1997   武蔵野美術大学油絵学科卒業
1998   現代日本絵画展
1999   雪梁舎フィレンツェ賞展
2000   多摩総合美術展 ・ 現代日本絵画展
2002   現代日本絵画展(佳作賞)
山口県美術展覧会(佳作賞)
2003   山口県美術展覧会(優秀賞)

 

 

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