長澤英俊さんは、大学卒業後渡欧され、ミラノを拠点にヨーロッパ全土で活躍を続けられる彫刻家です。
作品は、金属や石などに限らず、発想と場に応じて様々な素材が使われていますが、どの作品からも、その場の空間を超え、さらに大きな空間に息づく時空を孕んでいるような、ただならぬ気配を感じます。
この見事さこそ、彼が「世界のナガサワ」と呼ばれる所以でしょう。
日本では1993年ー94年に初めて、水戸芸術館に於いて、彼の軌跡をたどる大掛かりな個展・『天使の影』が開催され、長澤さんの存在は、大きく話題になりました。
この展覧会をゲストキュレーターとして企画されたのが、美術評論家の峯村敏明さんです。
峯村さんは、欧米・日本の近代・現代美術の研究・批評に加え、東京ビエンナーレ、パリビエンナーレなど、国内外、多数の展覧会の運営に携わってこられました。
中でも、1981年-2005年にかけて開催された平行芸術展は、日本に住む私たちの記憶に新しいところです。
峯村さんのお仕事からは、「美術がどう生きてきて、どう生きるべきか・・」という、一貫した姿勢が窺えます。
この度、お二人からお話を伺う機会がありましたので、ご紹介いたします。
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《メリッサの部屋》2005 第21回現代日本彫刻展 大賞作品/鉄を組み合わせた作品。浮いているように見える。
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友利)
長澤さん、こんにちは。今日は作品の設置のために、わざわざミラノから宇部まで来られたのですか?
ありがとうございます。今回は、お友達とご一緒なんですね。
長澤)
はい。こちらはぼくの友達?(笑)、峯村敏明さんです。
この4月から多摩美術大学美術館の館長です。
友利)
ええ〜っ(驚)!!
峯村さんが書かれた《鎌倉画廊「モノ派とは何であったか」》は、私の教科書なんですよ!
初めまして。
峯村さんと長澤さんは、いつ頃からのお付き合いなのですか?
峯村)
いつだろうね・・生まれる前から縁があったんだと思う(笑)。現実には1971年頃ですね。
もともと批評家というのは、作家に会う必要なんてないんですよ。作品を見ればいいのだからね。
でも、彼は別格。これまでも彼の作品を見るために、ヨーロッパのあちこち・・ずいぶんいろんな所へ出向いて行きましたよ。
今日も、作品を見に、ここまで(宇部まで)ついて来ちゃった。
友利)
それだけ作品が良いということですね。
峯村)
もちろんだよ。
彼の作品を見たあとは「もう他にはあまり見るものがない!」みたいな気持ちになるからね。
彼の作品に出会ったのは、1971年か72年だったかなあ。
その時、なぜそれがぼくのハートを打ったのか論理的に説明できない。
これは、前からぼくの見たいところにあったんだな・・と思い起こさせるもの・・運命的なものを感じたのね。
友利)
それは、長澤さんが、ヨーロッパ舞台で、ご自身の芸術を確立されたことが、作品の持つスケールの大きさに出ているのでしょうか。
確か、大学を出られてすぐ、ミラノまで、自転車で行かれたと聞いていますが・・。
長澤)
ええ、東洋と西洋の境目を見たくて、イスタンブールを目標に・・まずは船でタイに行きました。
自転車でバンコクを出発し、寺院とか教会とか博物館や遺跡などを見ているうちに、いろんな文化が面白くてしょうがない。
気がつけば、イタリアに入ってしまっていました。
ナポリ、ローマ、フレンツアと北上し、1年半後、ミラノに着きました。
2年後くらいから、ようやくベルギー、ロンドン、パリなどに行くようになりました。
その時は、もう車とか電車でね(笑)。
友利)
イタリアにお住みになったのは、イタリアが長澤さんの肌に合ったからですか?
長澤)
いや、とにかく「なんとかイタリアを理解しなきゃ!」という気持ちだったなあ。
イタリアの歴史とか美術は最初1か月くらい見ればいいかな・・と、思っていたんだけど、それまでは教科書の中で、こーんなちっちゃな白黒写真で見ていただけのレオナルドとかミケランジェロとかが、目の前にたくさんあるでしょ。
最初、1か月だけ・・と思って一生懸命見たけど、理解できない。見きれない。消化しきれない。
とにかく、イタリアを理解しなくちゃ、って思って、ミラノに住み、「中世〜ルネッサンス」と「現代美術」を照らし合わせながら見て歩きました。
そうしながら作品を制作するうちに、イタリアの若いアーティストたちと交流が始まって、少しづつ仕事の幅も広がって、活動しやすくなっていきました。
友利)
歴史とつなげて今を見ることは大切なことですね。
自転車で移動されたり、言葉が通じなかったりで、・・たいへんご苦労されたのですね。
長澤)
とんでもない!!苦労なんて思ったことはありませんよ!
自分のやりたいことをやってるときって、誰も、辛いとか苦しいとか思わないでしょう!
ぼくもそうでしたよ。
逆に、ぼくは恵まれていたんですよ。
ぼくが日本を出た時は、海外旅行が自由化になって一年くらいの時で、それまで海外に保証人がいないと行けなかったという頃だったんだけど、ぼくには海外に親戚や友人がいたり、受け入れ先があったわけではないから、最初から誰に頼るという気持もなく出発できた・・とにかく、何もかも一人で始めるしかない。
そういう点で、作品を作ることも、友人関係をつくることも、ごく自然に始めることができたからね。
今の若い人たちの方が、ある意味、恵まれていないのかもしれませんよ(笑)。
友利)
尊敬というか・・刺激になる作家さんとかいらっしゃいますか?
長澤)
みんな刺激になりますよ。良い作家や作品はいっぱいありますからね。
特に、この人は!この作品は!という対象は、ゴマンといます。
中世からずっと繋がっているこの間にたくさんの人がいて、たくさんの仕事を残しているのだから。
好きな仕事を見ると、ぼくは、何度でも見に行くわけなんですよ。
その作品が、一般的に評価されていてもいなくても、それをぼくが理解しなくては意味がない。
本当に、何度でも、何度でも。
作品っていうのはね・・、作家はその作品の中のどこかに大切なものを隠しているんですね。
それは、めったに見られない。見せない。一つの傑作の中には、何重にもそれが隠されているんですよ。
表面的な評価ではない、また別のものを理解することが大切なんです。
友利)
峯村さんは、評価をする立場の方ですね。
峯村)
評論家というのは、作品を分析的に見ていて、「これは、歴史的な流れの中で重要な作品だ」といったように評価する作品と、それとは違って、「有無を言わさず魂を引きずり込んでいく」・・これが「芸術の力」なんだけど、そういう作品がありますね。
う〜ん・・この力って、何ていうんだろうなあ・・「エロス」・・「愛」・・。根底にあるのは、個人の体験なんです。
芸術というのは、結局は普遍的な問題だから、こういう気持ちをぼくの中だけの感情にしないで、
理屈の立つように、ちゃんと探っていかないといけないんです。
友利)
そうです!そうなんです!作品に出会った時、説明のつけようのない感情ってありますね。
それを解き明かしてもらうことは、私にとっては作品理解だけではなく、自分自身を理解する上で必要なことです。
さて、おふたりのこれからのお仕事を聞いてもいいですか。
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《メリッサの部屋》の設置を指示する長澤さん。
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長澤)
展覧会は、7月、ローマの近くの街に聖体のない教会があってそこでします。
10月はボローニャ・・。あ、7月に、フエスカ地方の森林でします。
友利)
ああ・・見に行かれないのが残念です。。
長澤)
そうそう、今度、多摩美大のキャンパスに高さ8mの大理石の作品を設置します。
この7月中旬には見てもらえるかなあ。
友利)
嬉しいです〜。これは、見に行けます!多摩美の美術館も行けますしね!
峯村)
それはぜひ来てください。多摩美術大学美術館では、今年、あなたの好きな若林奮の展覧会をやりますよ。
彫刻家の小泉俊己准教授たちがやっている共同研究の発表としてですが。
友利)
きゃー!ぜひ!
峯村)
えーと・・私自身も7月に韓国で彫刻作品を発表します。これは見る必要なし!(笑)
今、これまでの「もの派」論考をまとめていて、来年初めにも論集を出す予定です。
まあ、まずは、『彫刻の叫び声』(水声社)読んでくださいね。
友利)
はい、すぐ読みます! ・・が・・、峯村さんの彫刻作品!!これはとても気になります。。
今日は、お疲れのところどうもありがとうございました。
長澤さんの作品は、新宿アイランド(《プレアデス》)、東京国際展示場(《七つの泉》)、長野市南長野運動公園(《“稲妻”(LAMPO)》)、霧島アートの森・(《李白の家 <Casa
di Li-Pai>》)などで見られます。
また、PEELER・specialのサイト内でも、ご紹介しております。(第21回現代日本彫刻展のご案内)どうぞ、ご覧くださいね。
※(《作品名》)。
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