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米松の大径木
TEXT & ILLUSTRATION 岡村裕次
宮代町立笠原小学校
竜宮城に通ってみませんか?

今回は30年前の1982年に出来上がりました「宮代町立笠原小学校」をとりあげます。
埼玉県春日部市と久喜市の間にありまして、東武伊勢崎線の東武動物公園駅から徒歩15分ぐらいの所にその小学校はあります。

設計者は象設計集団という設計事務所でして、メインの事務所は北海道十勝にあります。コルビジェの弟子の一人である吉坂隆正の事務所「U研究室」出身の大竹康市が中心となって作った設計事務所で、創立メンバーは樋口裕康富田玲子重村力有村桂子の5名によって発足されたようです。1979年に行われた沖縄県名護市庁舎のコンペで最優秀を取って一躍有名となり、その後台湾にも活動の場を広げています。リーダーの大竹康市は1983年に急死し、現在は樋口、富田、町山一郎などをリーダーに設計活動を続けています。

僕が学生の頃(1993年)に建築文化で特集号が発売されたり、ギャラリー間で展覧会が開かれたりして、学生の僕はとても感化され、影響をうけたものでした。今の流行の建築とは全く違い、ある種土着的というか、有機的な素材を使いながらちょっと情念のこもったような建築を作り上げる設計者です。設計手法も古典的かもしれませんが場所を読み、軸線を見つけるといったような王道を設計の大原則として大切にしています。更にすごいのは、設計に対する姿勢です。例えば老人ホームを設計する為にはまず設計のスタッフは住み込みで一年程その老人ホームで働いて、その後設計を始めるといったようなスタンスなのです。詳しくはここにかかれていますので、是非読んでみて下さい。商業的な経済行為に取り込まれ、利用されていく若手建築家のスタンスとは違い、思想や哲学を持ってまっすぐに取り組んでいく感じなのです。改めて今振り返ると、学ぶところが大きいと感じました。

この外観のインパクトは大ですね。

では、具体的に笠原小学校を紹介していきます。
正門から入ると朱色と灰色のストライプ外壁に真っ赤な手摺、瓦屋根というアンバランスな組み合わせの外観に驚きながら正門を入ります。(町民の方などは朱色の外観から竜宮城と呼ぶようです)本来は様々な場所にある4つの門から校庭に入れるのですが、附属池田小事件等の影響で今は一つしか開門されていないようです。ピロティーを抜けると建物で囲まれた緑化された中庭に出ます。


リゾートホテルのようではないですか?

中庭から振り返って校舎をみるとまるでリゾートホテルのように見えます。中庭を囲むように教室が密集せず分かれて配置されており、それぞれの独立性が高くなっているのですが、それがホテルのコテージのように感じるのです。また、昇降口が一カ所に集中しているのではなく、バラバラなのが遠目にわかります。


木や草花、山と池と動物がいる中庭です

中庭には池があり、山があり、兎が飼われており、木が沢山生い茂り、地面には雑草が沢山生えていました。そして、校舎と反対側には藤棚があり、その奥に運動場で野球をしているのが見えます。中庭が楽しそうだなぁーと歩き出すと、ふと気づきます。普通の小学校にはこんな中庭みたいな緑化された場所ってないよなっ!!と。なんだか当たり前に感じたのですが田舎の僕が通った敷地の広い小学校でも校庭は締め固められた土で出来た、草が生えなさそうな運動場だけでした。理科で習った昆虫が側にいたり、木や草が生えている環境の中で学ぶ事の方が豊かであることに象設計は気がついたのでしょう。確かに学校の校庭の運動場ってすごい異質な空間ですよね。運動会やるには必用なのかもしれませんが、ほとんど日常で行われるちょっとした運動や全体集会なら木や草が生えている場所でもかまわないですよね。僕が見学に行ったのは土曜日の午後でしたが、子供達は普通に遊具のないこの中庭で遊んでいました。

列柱には文字が刻まれています


子供達にとって小さな空間は心地良いようです

校舎に入ろうとすると昇降口で靴を脱ぎ廊下へと進むのですが、実はこの廊下室内ではありません。屋根がかかっている外部なのです。普通に落ち葉や砂が廊下に落ちている状況で、列柱空間を歩くのですが、なんとも不思議な感覚です。しかもこの小学校は裸足教育を実践しているらしく基本的に子ども達は裸足でこの廊下を歩くようです。(強制ではないようです)廊下の屋根を支える中庭側の柱には47都道府県名や万葉集、ことわざやらが書かれており、まるでゲゲゲの鬼太郎に出てきそうな空間です。
引戸を開け、教室に入ってはじめて雨の入らない室内空間となります。廊下にはベンチやら小屋根付きの小さな個室みたいな場所があったりして、遊び心満載です。雨でもこの廊下で十分遊べるようになっている感じですね。この小学校に於いては屋根がかかっている面積の半分以上は半屋外ではないでしょうか。それだけ屋外空間との親密性が建築的に表現されています。豊かな中庭があり、運動場、屋根のかかる半屋外廊下とここで育つ子供達はきっと外が好きになるだろうなぁーという気がしました。

教室に入ると少し広い感じがします。どうやら床面積は通常の小学校教室の約1.5倍あり、クラスルーム内に畳コーナーや、ベンチ等のある天井の低いアルコーブが設けてありました。このアルコーブはある教室では授業で作った図画工作の作品が展示してあったり、子ども同士で集まって内緒話をするときに使われたりと様々な使い道がされているようです。

中庭に面する部分に普通教室が配置されており、そのもう一回り奥に特別教室が配置されています。これらは普通教室から渡り廊下を介して行くようにそれぞれが独立してバラバラに配置されており、3面以上から採光、通風ができるような空間となっていました。

普通教室から離れた所にある理科室

この離れは音楽室です

二階の屋根がない廊下の一角に土が盛られ菜園化されていたのですが、案内して頂いた教頭先生に「この菜園で取れた野菜をすぐにその隣の家庭科室で調理するんや。ほんとその野菜が美味しいだよ。菜園がある小学校は沢山あるだろうけど、うちの学校の菜園と家庭科室の近さはどこよりも近いやろな」と仰っていました。

教室が中庭に対して円弧状に配置されているので向かい側の教室の様子が少し見えます。ここにもガーゴイルがあり前々回取り上げましたふじようちえんと似ているところが満載なのですが、日常生活の中で他のクラスや学年の様子が見えるように意図されていることと思います。自分の兄弟の様子が見えたりすることの方がいいですよね。普通の学校はなぜか他の教室がやっている事を見せないような配置ですし、外もあまり見えない設計ですが、ここはまるっきり逆で、窓が多く授業中に気が散る要素は満載ですね。

「小学校(学ぶ場)とは何か?」「今までのあったような小学校で良いのだろうか」という視点から学校建築に取り組んでいった様子がひしひしと伝わる建築でした。


こうした仕掛けが満載です

さて、手塚さんなどの建築と考え方は同じなのですが、立ち上がっている建築の表現はかなり違っています。大きくは素材と装飾性でしょう。まず素材は経年変化しても味が出るような素材を使用しており、デコボコざらざらのものばかりです。細くスマートに見せるというよりは逆に太く、重くどっしりと見せる感じです。また細部にいろいろな仕掛けや装飾が施されています。先ほど紹介した柱に刻まれている文字以外にも外壁の壁にチョウチョが彫り込まれていたり、手摺の横棒にそろばんのような木の駒があったり、変な丸のくりぬき、小さな子どもしか入れない不思議なおり、鳩の彫刻が手摺の上に何十体も鎮座してあったりと機能的ではない装飾が満点です。でも、それらの小さな思いつきのような仕掛けや突起物あると「何をやっても良いんだよ」という自由に生きるメッセージにも感じてきました。

前出の町山一郎さんのブログにもありましたが、この笠原小学校の出身者が結婚相手に一度自分の卒業した小学校を見せておきたかったと見学に来たり、卒業生が先生となって戻って来る事も多いそうです。更には卒業生がその息子を入学する為に引っ越してくる事や、電車にのって通学してまで来たいという希望は今もあるようです。

30年前にこの建築が産まれているとなるとかなり斬新ですよね。どうやら竣工当時とても話題になった建物で、革命的な小学校としてマスコミに取り上げられ、多くの小学校教諭等の見学者で連日大変だったようです。現在はあまり見学者は来ないようですが、今でも間違いなく革命的な小学校として存在しています。更には藤棚がすごい規模であるので、5月に行くと藤の花が咲いてとてもきれいなようです。
素材感や遊び心の仕掛けが多いのでなかなか言葉や写真では伝えにくい建築です。是非、アポイントメントをとって頂き、見学される事をお勧めします。今までの小学校のイメージが大きく変わるかもしれませんよ。






著者のプロフィールや、近況など。

岡村裕次(おかむらゆうじ)

1973年三重県生まれ
建築家(建築設計事務所TKO-M.architectsを主宰)
ウエブサイト  TKO-M.architects
建築がもつ不自由さが気に入っていながら美術の自由さに憧れるそんな矛盾した建築家です。

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