topcolumns[美術散歩]
美術散歩


会田誠とダミアン・ハーストと

TEXT 菅原義之

 

 会田誠とダミアン・ハーストは1965年生まれで同年齢だが、両者の世界での評価は雲泥の差ありであろう。でも、現在は評価基準が欧米中心なのでやむを得ないが、公平に両者の作品を比較するとき、どちらが素晴らしいか、と気になっている。内容が違うので単純に比較しにくいが、日本人的視点、発想から見ると会田の作品の方が親しみやすいし、発想が素晴らしいし、奥が深いと思うがどうか。以下両者を比較してみよう。

1.会田誠について

(1)「思想の流れ1(西欧思想の日本での展開)」に沿った作品
 創造の世界は「思想の流れ」と密接な関係があるので、20世紀に入ってからの「この流れ」をほんの少し追跡してみよう。美術家デュシャン(1887〜1968)と哲学者ハイデガー(1889〜1976)は同年代の人物。デュシャンは美術の世界を大きく変えたし、ハイデガーは思想の世界を180度変えたといってもいいであろう。何がそうしたか、第1次世界大戦が両者の考えを大きく変えたのではないか。  1927年にハイデガーは主著「存在と時間」を発表。それは、当時の世相を反映し、西欧文化を根底から批判するものだったそうである。いわゆるドイツ実存主義哲学である。 理性的、観念的にものを思考する考え方を仮に「近世・近代主義」とするなら、ハイデガーは、この考えを排除し、もっと具体的に人の生存、実存を取り込んだ新感覚の「反近世・近代」を主張したといっていいであろう。換言すれば、何百年もの間西欧思想を支配した「人間中心主義」の徹底排除である。  そして、「・・・1930年代にかけてドイツの実存哲学が、1940年代から50年代にかけて、・・・サルトルやメルロ・ポンティ(フランスの実存主義)によって主導され、・・・1960年代には、・・・その実存主義へのアンチ・テーゼとして登場してきた構造主義が、さらに1970年代以降は・・・ポスト構造主義が、それぞれにハイデガーを思想的源泉とみなしてきた」(ハイデガーの思想、木田元著、岩波新書)。下図のとおり。  「ドイツ実存主義」 → 「フランス実存主義」 → 「構造主義」 → 「ポスト構造主義」   では、作品を見てみよう。
 @作品《美術と哲学1 判断力批判批判》と《美術と哲学3 ハイデガー 存在と時間》
 両作品は、森美術館で開催された「会田誠」展(2012〜13)に展示。両作品から会田の立場が鮮明に分かる。前者は、カントが美について述べた著書「判断力批判」をバラバラにし、1枚1枚に何やら絵を描き一括展示。古い考えは読むに値しないとの表現か。タイトルも批判の批判で面白い。会田が「判断力批判」(近世・近代主義的)を「反近世・近代」の立場から批判したもの。
 後者は、タイトルにハイデガー名と主著「存在と時間」名を記し、抽象絵画を制作する。前者と比較して扱いは格段の相違。こちらは会田のハイデガーへのオマージュ作品であろう。
 A作品《美術に限っていえば、浅田彰は下らないものを誉めそやし、大切なものを貶め、日本の美術界をさんざん停滞させた責任を、いつ、どのようなかたちで取るのだろうか》
 2007年上野の森美術館にて開催の「会田誠 山口晃展」に展示。長いタイトルの絵画で知られる岡崎乾二郎を扱った会田のパロディー作品である。思想家、浅田彰は岡崎のよき理解者。岡崎の絵画は、抽象表現主義風で、観念的という意味で「近代主義的」、会田は「反近代的」。浅田は「ポスト構造主義」を推す中心人物。思想の流れから見ると浅田は、なぜ岡崎を推すのか。思想上矛盾しないか。思想的内容より岡崎の理論が好きなようだ。この作品、タイトルは凄いが、会田も本気で言っているわけではなく、この作品を通して「ポスト構造主義」まで視野に入れ、暗に「欧米基準一辺倒でいいのか」と批判するかのようである。

(2)「思想の流れ2(日本の美術史からの展開)」に沿った作品
 日本美術史上知られた作品の応用といえば、すぐに思い出されるのは藤田嗣治の絵画、裸婦像であろう。渡仏後、藤田は独創性を発揮するため思考を重ね、浮世絵の女性の肌の美しさに着眼し、油絵による線描を用いた深い白地の裸婦像の制作に成功する。日本美術史を引用した典型例であろう。
 @作品《あぜ道》(1991)
 この作品(「会田誠」展、森美術館、2012〜13)を見ると日本人の多くは東山魁夷の作品《道》を思い出すであろう。ユーモアを交えた会田のアプロプリエーション(流用)作品。イギリスの社会学者エイドリアン・ファベルはこの作品を「女学生に対するフェティシズムを扱った猥褻な作品(であること)、・・・東山魁夷による日本画の古典的作品《道》・・・を引用していることを知らなければならない」(美術手帳 2013.01)、と。日本人だと発想の面白さと素晴らしさを感ずるが、猥褻と思うかどうか。ファベルは日本通だが考え過ぎではないか。
 A作品《灰色の山》(2009〜11)
  見た瞬間山水画を思い出す。近づいてみると驚いたことに、死亡した人物の山である。スーツ姿の男性が多い。パラノ型(逃走論、浅田彰著、ちくま文庫)人間の山か。資本主義社会の厳しい現状を端的に描いているのだろう。美しい自然を描く山水画を念頭にしながら、現実の世界を表現する。これほど現実を的確に表現した発想はない。素晴らしい作品である。山水画を知らないか、見慣れていない外国人には分かりにくいかも知れない。
 B作品《電信柱、カラス、その他》(2012)
  見た瞬間、何かのシミュレーション作品だろうと思ったが気が付かなかった。菱田春草の《落葉》と長谷川等伯の《松林図屏風》を想定し描かれたものだと後で分かった。そういえば、何本かの電信柱の配置と遠近の表現などその通りである。また、電信柱の傾き、電線の切断から震災の悲惨さを描いているようだ。カラスのくわえているものを見ると驚く。これも日本美術の理解が必須か。外国人には分かりにくい作品であろう。

2.ダミアン・ハーストにつて

 (1)ホルマリン漬けほかを扱った作品
 ダミアン・ハーストは、宗教色が感じられるアーティストではないか。作品《神の愛のために》(2007)は、人間のスカル(頭蓋骨)にダイヤモンドを一面に貼り付けた見事な作品である。スカルは、少し古い西洋絵画には「死」を象徴的に示すものとして描かれ、欧米人には馴染みあるものであろうが、そのルールを知らない日本人には馴染みにくい。また、ハーストには、ホルマリン漬けを扱った作品ほか、動物の「生」と「死」を扱った作品が多く見られる。かなり直接的な表現でインパクトは強いが、これをどのように見るかがカギではないか。
 @作品《母と子引き裂かれて》
 これは森術館で開催された「ターナー賞の歩み展」(2008)で展示された母と子2作品。牛の親子をそれぞれ縦に真っ二つにしたもので、95年にターナー賞を受賞。この作品のイギリスでの評価は高い。世界での評価も同様である。確かにこの作品から受けるインパクトは凄かったが、率直なところあまり見ていたいとは思わない作品だった。日本人的発想ではこの種の作品って、理科の実験室と違ってアート作品として見た場合気味が悪い。やはりキリストの磔刑図が示す軽い罪で残酷な処刑、血と肉など宗教的なものが影響しているのか。
 A作品《一千年》
 2012年にテート・モダンで開かれた「ダミアン・ハースト展」で展示された作品。実際に見ていないのでここに記すのは気が引けるが、ハーストの典型的な作品の一つと思われる。印象は気味悪い典型のような作品である。大きな透明なケースの中に皮がはがれ赤くなった牛の頭部が床に置かれ、ハエと蛆虫が牛の頭部に群がっている。見た瞬間驚きを感ずるかも知れない。身を背けたくなる作品ではないか。牛とハエ、「死」と「生」のせめぎあいの表現か。作品として全世界共通の評価が得られるかどうか。
 B作品《知識の木》と《無題》(2000)
 前者は、横浜トリエンナーレ2011の展示作品。何千枚もの蝶の羽を使ったカラフルな作品である。ガイドブック記載の通り、万華鏡とか曼荼羅を想起させる。きれいな見事な作品である。蝶の羽根からできているのを知ると蝶の犠牲のもとに制作されているのかもしれない、と。
 後者は、森美術館のLOVE展(2008)で展示された作品。ピンクの大きなハートマークの中に死んだ蝶などが点在している作品である。あまり蝶など目立たないので、一見LOVE展にふさわしい作品のように思える。でもLOVEと蝶の死骸とはなじみくいのではないか。

(2)錠剤の作品とスポット作品
 錠剤の作品は見ていないが、何点か写真で見る限り、面白いアイディアであり、錠剤の場合は「死」より「生」を感じさせ、色彩的にも明るいし色とりどりで素晴らしい。
 また、スポット作品は、ターナー賞展で見たが、あまり記憶にない。錠剤を抽象的に描いたものという記事を読んだことがあるが、そうであればこれもやはり「生」を表現しているのかもしれない。一見単純なようでそうではない。発想は面白いが、錠剤の作品に比べ平面だけにややインパクトに欠けるように思う。

3.会田とハーストを比較して

 会田誠の作品の広がりはかなり広く全貌をつかむのが難しい。特徴といえば、作品の中には「思想の流れ」を取り込み、しかもパロディー化したものもあり、かなり深く流れを読み込んでいる。一方、日本の美術史とその周辺を取り込んだ作品を制作していることも特徴であろう。その他戦争画リターンズ、美少女関連の作品などあり、これだけ多彩な作品を持つ力のあるアーティストでありながら欧米で評価されていない。本人は、これに無頓着であるのか、意識的に欧米の評価を無視するのか、性格的なものかは不明。しかし作品から判断する限りでは、最初に記した理性的、観念的な古い感覚の「近世・近代主義」と日本の欧米崇拝傾向には批判的であり、やがて時代が変わると「思想の流れ」を読み切っているのかも知れない。面白い、稀有のアーティストである。
 ハーストの作品は、宗教的なものを想像させ、これを根底に人の「生」と「死」をコンセプトにいろいろな素材や方法を用いて表現しているようだ。全般に分かりやすい点は長所だが、ハーストの主要作品である動物、ハエ、蝶などを使ったものは、あまりにも表現が直接的で、これが評価されるのは、厳しい処罰であるイエスの磔刑図、血と肉など宗教から由来する文化が、知らず知らずのうちに日常生活にしみついた表れなのかと思わざるを得ない。それだけに日本人にはなじみにくい。また、「思想の流れ」から見ると、動物、ハエ、蝶などを扱った作品は、西欧を何百年の間支配してきた「人間中心主義」の典型的作品群であるように感ずるが、どうか。「思想の流れ」に現実が追い付いていってない典型例かもしれない。

 また、日本人が洋画を見る場合、西欧美術の流れ、キリスト教、ギリシャ神話などをある程度知らないと理解し難い。同様に外国人が会田の作品を見る場合、日本の美術史上の主要な作品などその背景をある程度知らないと、その面白さ、素晴らしさが分からないはず。世界の評価は現在欧米基準なので、日本人はキリスト教、ギリシャ神話などを学ぶが、外国人が会田の作品を見る場合、日本の美術史、その周辺の理解は必須条件ではない。このあたりが、会田作品が理解されず、評価されない大きな理由ではないか。

 ここに会田とハーストについて、ほんの寸評だったが、日本でもそろそろ欧米崇拝の宿痾(しゅくあ)から離れて、日本人の立場から公平に、会田とハーストとでは、どちらの作品が素晴らしいか、なじみやすいかである。好き好きもあるが、当然会田に軍配が上がると思うがどうだろう。ハーストの評価はあちらの評価なのでそれはそれでいいのだが。

 
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.