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美術散歩


デュシャンとハイデガーと

TEXT 菅原義之

 

 デュシャンとハイデガー。この両者をここに取り上げるのは、私の手に余る問題である。両者ともにその世界を変え、後世に大きな影響を及ぼした巨匠だからである。それだけに私の関心は深い。そんなことで私なりに記すこととした。

 デュシャン(1887〜1968)はフランスの美術家であり、ハイデガー(1889〜1976)はドイツの哲学者である。年齢は2歳違い、ほとんど同時代を過ごしたといっていいであろう。おまけに両者とも80過ぎまで生存した長命人だった。デュシャンは、美術の世界を大きく変えた人物だし、ハイデガーは、哲学の世界をやはり大きく変えたといっていいであろう。
 同時代に巨匠2人の出現、そして世界を大きく変える、何がそうしたかである。ときは20世紀初頭である。機械文明の発達と同時に登場する未来派、これとほとんど同時にキュビスム、あるいは抽象絵画なども登場するが、広く社会、文化面で大きな影響を及ぼしたのは、何と言っても戦争だった。1914年に第一次世界大戦が起こり、18年に終了するが、フランス、ドイツは隣国であり、しかも相互に敵国である。火元のヨーロッパは特に戦争の影響が大きかった。デュシャンもハイデガーも20代の中ごろをこのような時期に過ごしている。戦争の影響を感じないはずはなかったであろう。

 まず、デュシャンである。第一次大戦により、兄2人は徴兵にとられたが、デュシャンは病弱を理由に軍務を逃れ、15年にニューヨークにわたる。その2年前ニューヨークで開催された前衛美術展「アーモリ・ショー」に《階段を降りる裸体No.2》(1912)を出品し、結果的にデュシャンの名をアメリカで知らしめることとなった。そのようなことで15年ニューヨークに着いたときには新聞記者に取り囲まれたそうである。そこでピカビアとともにダダイズム活動を開始することになる。
 ダダイズムの運動は、スイスのチューリヒとアメリカのニューヨークで戦時中ほぼ同時に始まった。戦火を逃れて中立国にきた人たちによって大戦に対するプロテストとして起こった。戦争を引き起こしたのは過去の文化がもたらした結果であり、これに対して痛烈な批判を主張。過去の文化を破壊し、新しい文化、芸術を創造しようとするものだった。この考えをデュシャンがもっとも顕著に表現したのは、1917年ニューヨークのアンデパンダン展に、出品した《泉》(1917)であろう。男性用便器を横に置きサインして出品する。いわゆるレディ・メイドである。これが問題になり出品を拒否される。ダダの運動は、その後パリに集結するが、ここでデュシャンが発表した《L・H・O・O・Q》(1919)は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》の複製にひげを描き込み、下部に《L・H・O・O・Q》の文字を加えたもの。このタイトルをフランス語で読むと「彼女のお尻は熱い」となるそうである。これも過去の文化を破壊しようとする典型例かもしれない。
 このようにダダイズムは、チューリッヒとニューヨークでほぼ同時に起こり、最終的にはパリに集結するが、のちにシュルレアリスムとして発展するし、ダダイズムの考え方は、その後のアートの世界に大きな影響を及ぼしている。50年代ではネオダダ、60年代のポップ・アート、ミニマル・アート、60〜70年代のコンセプチュアル・アートなどの誕生に大きくかかわっているのではないか。見方によっては21世紀になった現在でもその影響があると言っていいかもしれない。このようにデュシャンは美術の世界を大きく変えた人物であるといっていいであろう。

 ハイデガーはどうか。一時ナチスドイツに加担した時代があったが、これはこれとして、ここでは思想をたどっていきたい。彼はもともと病弱だったにもかかわらず、志願して軍務に加わるが、休戦により大学に戻る。
 ハイデガーといえば、「存在と時間」の著者として知られている。1927年にこれが発表されるや否やドイツの思想界の形成を変えたそうで、それだけ影響力が強かったのであろう。そこには敗戦後の雰囲気が凝縮され多くの人が衝撃を受けた。この敗戦は、ドイツ人にとって単にドイツ帝国の崩壊を意味するだけでなく、2000年来の西洋文明の終焉を意味すると受け取られたようだ。
 では、ハイデガーの哲学の根底に流れるもの何か。次の2点こそこれまでの思想と大きく異なり、当時のドイツ人、あるいはその後の西欧の人々、世界に及ぼした影響が大きかったのではないか。
 1つは、キリスト教的な神という発想がないこと。「ハイデッガーが終始求め続けてきたものは存在の真理――二千数百年前、古代ギリシャで誕生して以来、哲学が持ち続けてきた最も古い問題である存在の真理――に他ならなかった」(「ハイデッガー」新井恵雄著、清水書院)、と。つまり、キリスト誕生以前の古代ギリシャにまでその淵源を求めている。(注)図書引用部分は原文通り「ハイデッガー」とした。以下同様。
 2つは、人間中心主義思想がないこと。科学技術偏重、自然支配の精神は、技術を駆使することで自然をわがものとなしうるという人間中心主義。西欧で何百年の間支配してきたこの思想をハイデガーは徹底排除する。
 ここでは、ハイデガーの存在論を記す資格が私にはないので、ほんの少しだけ芸術論を覗いてみよう。渡辺二郎著「芸術の哲学」(ちくま学芸文庫)によると、「ハイデッガーによって・・・現代の芸術論の大きな潮流が生み出されてきたのである。ハイデッガーは、こうした現代の芸術論の源泉を成している・・・」という。
  これまでは、芸術は「美」を目指す活動であった。われわれは作品に描かれたものを見て美しいと感じて感動するなど、美の成立根拠が主観的に考えられてきた(「近代主観主義美学」)。これに対して、ハイデガーは「ゴッホの農民の靴」の絵を例示し、この作品を見たときに感動するのは、それが「美しい」からではなくて、描かれた靴が脚光を浴び、そこから想像できる農民の厳しい生活などあれこれ「真実」の実態が浮かび上がる。これこそこの絵画の「存在」そのものを明らかにする手がかりとなる。われわれは「真実」の輝きに感動する。この輝きこそ「美」であり、「真実の輝きが、美を生み出すのであって、その逆ではないのである」(前掲書)としている。これがこれまでの考え方と異なるハイデガーの立場(「存在論的美学」)であろう。

 このようにデュシャンは芸術の世界をコンセプチュアルの方向に大きく変えたといっていいであろう。ハイデガーはやはりこれまでの考え方を180度変えたといえるのではないか。そして両者の考え方には戦争の影響が大きく響いている。
 デュシャンに関しては、その影響が70年代のコンセプチュアル・アートに至って、コンセプトだけが一人で動き始めたかの感を呈し隘路に行きづまった。その後新たに出直した考え方は、見るべきものだったと思うが、最近再度コンセプチュアルの傾向が強く、作品の「面白くなさ」が目立っているように思う。どうであろうか。デュシャンのように切れ味のいいコンセプチュアル作品なら面白いと思うが、説明を聞いても分からないもの(リヒターの新作Stripなど)さえあるし、人間中心主義の典型と思える作品(ハーストの《母と子、引き裂かれて》など)もある。いずれも前号PEELERに具体的に記載。現実は思想の流れにまだまだ追いついていないのだろうか。
 また、ハイデガーに関しては、考え方の根底には、脱西欧中心とか、脱人間中心とかの思想がみなぎるように流れているようだ。この考え方が西欧から出たことは素晴らしいことだと思う。しかもこれがその後の「構造主義」や「ポスト構造主義」に繋がって行くようで、ここにハイデガー思想の影響力の大きさがうかがえるのではないか。
 こんな視点から見ると2007年に水戸芸術館で発表された松井みどりの脱西欧的な、ポスト構造主義思想まで取り入れた「マイクロポップ」の存在そのものが、かなり大きくクローズアップされてくるように思うが、どうだろうか。きっとデュシャンもハイデガーもこれこそ「あるべき姿の一つ」だというであろう。今脚光を浴びている田中功起はこの時松井に取り上げられたメンバーの一人である。今後西欧化しないよう、終始マイクロポップ的であってほしいものである。

【参考】
どう見る「マイクロポップ」展
「マイクロポップ的想像力の展開」展を見る

 
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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