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美術散歩


「フランシス・ベーコン」と「デミアン・ハースト」と

TEXT 菅原義之

 

 フランシス・ベーコンの作品は、今年開催された東京国立近代美術館の「フランシス・ベーコン」展で、またデミアン・ハーストは、直近では森美術館の「LOVE展」、以前には「横浜トリエンナーレ2011」、「英国美術の現在史 ターナーの歩み」展(2008年、森美術館)で見た。ここに取り上げるのは両者とも気になるアーティストだからであり、両者には共通点があるようで面白いと思うからでもある。
 
  まず、フランシス・ベーコン(1909〜92)である。作品を見て異様な迫力を感じた。「力のある作品」とでもいうのか、それは「記憶に残るインパクトのある作品」だった。ベーコンの魅力ってこんなところにあるのかもしれない。人の入りが予想以上に多かったのはこれが原因だろう。でもベーコンが世界でも、日本でも評価され、ほとんど異論のないのが私には分からなかった。ベーコンを見足りないのか、理解が不十分なのか、と自分を疑ったが、正直グロテスクであり、再度見たいとは思わない作品が何点もあった。
 ベーコンの活躍期は、シュルレアリスム絵画のすぐあとであろう。作品を見るとシュルレアリスムの影響を受けた、意識したと思われる点が散見されるがどうだろうか。シュルレアリスム宣言を書いたブルトン(1896〜1966)は、「驚きは美しい…」とシュルレアリスムの考えを端的に述べているが、「記憶に残るインパクトのある作品」だと前述したのは、「驚き」をもたらす絵画だったからかもしれない。同じ驚きでも、ダリ(1904〜89)は、得体の知れないものを描くが、グロテスク感はない。実在の人物そのものを極端に歪曲して描くのと架空のものを描くのとの違いかもしれない。
 また、ベーコン(1909)は、戦略的な画家だったそうである。アメリカの抽象表現主義の画家、ポロック(1912〜56)、ロスコ(1903〜70)、ニューマン(1905〜70)などとほぼ同世代である。画家として本格的にスタートしたのはやや遅かったようだが、抽象表現主義の絵画とは全く別なタイプの作品を制作することが、戦略的に大事だと悟り、具象を選んだのではないか。これがベーコンに独自の道を歩ませた理由の一つかもしれない。それに彼はマゾヒストだった。これこそ誰彼にあることではなく活用できると考え、そこから生じるホモセクシャルな感覚を取り込み、最適な表現対象である人間を描くことに思い至ったのではないか。これがもう一つの理由であろう。

 次に、デミアン・ハースト(1965〜)である。彼は、フランシス・ベーコンに傾倒していたそうである。師のような存在だったのであろう。森美術館の「英国美術の現在史 ターナーの歩み展」で《母と子、引き裂かれて》(1993)がターナー賞を受賞している。牛の親子をそれぞれ縦に真っ二つに切断しホルマリン漬にした大作である。足は前後に1本づつ、裏に回ると内臓が丸見えである。ベーコンと同様インパクトはあるが、見た瞬間、生物の持つ宿命である生と死を表現するにしても、なぜここまでやるかと感じざるを得なかった。その他、大きな透明なガラスの箱の中に牛の頭部が置かれ、ここに無数の蠅がたかっている作品《一千年》(1990)とか、一面に蠅の死骸で真っ黒にされた作品《黒い太陽》(2004)とかもある。グロテスクさの極限をいっているような作品である。私が横浜で見たのはきれいな蝶を集めて左右対称にした図形作品とか、LOVE展ではピンク色の大きなハートマークの中に死んだ蠅がところどころに何匹か貼付されているなどである。さすがに日本では、前出の《母と子、引き裂かれて》はターナー賞展に欠かせなかったであろうが、その他はそれほどでもない作品が展示されていた。ハーストといえば今や世界で知られたアーティストである。このようにグロテスクな作品は、インパクトは強いが、それだけでいいのかと疑わざるを得ない。これはイギリスの評価なのでこれはこれでいい。日本人の一人として疑問に思うがどうだろうか。ハーストもベーコン同様、私の方の問題かもしれないが。

 フランシス・ベーコン、デミアン・ハーストともにイギリス人である。このようなグロテスクさってイギリス特有のものなんだろうか。そうではなくキリスト教文化の影響ではないかと思うがどうか。キリスト教といえばすぐ思い出されるのが、キリストの磔刑図である。日本人でさえも多くが知っているだろう。あまり見慣れ一種の記号として見てしまうほどである。でもキリストが処刑される場面は、驚くほど残酷である。図書「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎×大澤真幸、講談社新書)で、大澤が「もし人類の歴史の中で最も影響力の大きかった出来事を一つ挙げろと言われたら、ぼくは、イエスの処刑だと思うんです」、なぜか、「それはやっぱり、イエスが惨めに殺されていくからでしょう」、と。確かにその通りであろう。軽度の問題で悲惨な刑、これが人々の感動を誘った。だからこそ、これまでに磔刑図は多くの画家に描かれてきたことであろう。処刑後キリストは復活し、キリスト教は長い歴史を経て、世界一の信者を抱える宗教となり現在に至っている。しかも文化の根底にある哲学思想とも結びついている。上から神が、下から思想が、である。この強さ、積極性は凄い。このようなキリスト教文化のなかでは「自信」、「強さ」、「積極性」、「精神性」などが、知らず知らずのうちに育まれ社会に浸透し、フランシス・ベーコン、デミアン・ハーストを生んできたのではないか。なので、西欧では両者の考え方にあまり違和感がないのかもしれない。キリスト教文化圏外では、やはりなじみにくいと思うがどうだろうか。

 アートの世界ではこれまで西欧の歴史が中心だった。キリスト教の傘のもとに根底には哲学思想が連綿と続き、神の時代から科学技術の偏重、自然支配の精神などによる人間中心主義の時代になり、20世紀に入り第一次大戦後、第二次大戦後それぞれの影響、反省などを経て今や新たな時代に入っている。この時代をどのように考えるべきかであろう。我々は誰でもある時代、ある地域に属していて、その中でものの見方、感じ方、考え方が育まれる。それは当然その時代やその地域の影響を大きく受けている筈。なので、自分の見方、感じ方、考え方は、自分が思っているほど普遍的でないという意識を常に保持することが大切であり、このように考えるべき時代であると言っていいのではないか。西欧の評価でさえもこの時代、この地域の評価であって、これが世界基準ではないということであろう。これまで、我々は西欧文化の影響を大きく受け、取り込んできた。今後もその傾向は続くだろう。それはそれでいいが、この時代の生き方として、西欧文化の全面的受容から離れて、日本人独特の見方、感じ方、考え方を強く打ち出していいのではないか。その具体例はすでに以前から出ている。例えば、「マイクロポップ」は、松井みどりが2007年に提唱(2013年のヴェネチア・ビエンナーレで受賞した田中功起はこの時のメンバーの一人)しているし、今ではその他にも具体的にいろいろな動きが出てきている。

(注)「マイクロポップ」について以前に筆者がPEELERに書いた原稿。
       どう見る「マイクロポップ」展
       「マイクロポップ的想像力の展開」展を見る



 
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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