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美術散歩


草間彌生とゲルハルト・リヒターと

TEXT 菅原義之

 

 草間彌生もゲルハルト・リヒターも今や世界的なアーティストと言っていいであろう。私の好きなアーティストでもある。草間彌生は、昨年開催された「草間彌生」展を埼玉県立近代美術館と松本市立美術館とで、リヒターは、六本木の
ワコウ・ワークス・オブ・アートで見る機会を得た。「リヒターの新作展」である。両者の作品は全く異なるが素晴らしいの一言である。最初に両者の類似点を、次に相違点を見てみたい。

 この両者には驚くべき類似点があるように感ずる。
 草間は長野県松本市出身1929年生まれ、リヒターはドイツ人で1932年生まれ。両者とも80歳を超えているが、現在も活躍中であり凄いと言わざるを得ない。

 草間は1957年に28歳で単身アメリカへわたる。当時の日本は誰でも海外に行かれる状況にはなかった。見ず知らずの草間がアメリカの有名画家であるオキーフに連絡して見事に返事を得ることに成功。オキーフをスポンサーとしてアメリカにわたる。当初シアトルに、翌年ニューヨークに移り活躍を始める。リヒターは出身地東ドイツのドレスデンで社会主義リアリズム絵画を学んでいたが、1959年に当時の西ドイツ、カッセルで開催されたドクメンタでポロックとかフォンタナの作品を見て感激し、61年に29歳で東ドイツから西ドイツのデュッセルドルフに移住する。東西ドイツの国境が封鎖される直前である。草間の渡米、リヒターの移住は、ともに30歳少し前。当時としては大きな決断だったであろう。この決断が両者の大きなチャンスにつながる。

 草間の評価が世界に認められるきっかけとなったのは、1998年から99年に開催される「ラブ・フォーエバー・草間彌生1958―1968」展であろう。当展を担当したリン・ゼレヴァンスキーは草間について「・・・周囲の状況を把握し、それに応え、解釈し直す稀な才能・・・」と記している。草間の天才的直観力の素晴らしさをこのように表現しているのであろう。また、リヒターは「彼がドイツを超えて世界的な作家になるのは、ニュー・ペインティングの波が引いて、アンゼルム・キーファーやヨルク・イメンドルフが前線から引いた後のこと、つまり早くて80年代末、実質90年代である。」(BT2013.03「Stripアブストラクト・ペインティングの現在」 清水穣 文)としている。
 両者とも世界的に認められるのは、90年代だと言っていいのかもしれない。草間は、抽象表現主義的作品の制作ほか数々のアメリカでの活躍が総合的に評価されたのであろうし、リヒターの場合は、フォト・ペインティングからアブストラクト・ペインティングに至る各種の表現におけるコンセプトの一貫性が評価されたと言っていいであろう。

 両者の考え方について、草間は、幼少期から神経症による幻視、幻聴に悩まされる。テーブルの上の花柄模様を見て目を転ずると周囲一面に同様の模様が見え、その中に自分が埋没してしまうように感じたそうである。まるで「無限の網」に束縛されてしまう恐怖感に駆られたようだ。この幻影から離脱し自分のリアリティを取り戻すこと、それは自分の見る幻影を描くことだった。そこで無限の網の反転表現である「水玉」を描き始めたそうである。水玉と無限の網目の関係、これこそ草間独特の創造の世界であろう。草間作品を見るには「集積」、「増殖」、「宇宙」(無限)がキーワードのようだ。
 リヒターは、戦後のドイツの抱える問題が根底にあったのではないか。新聞や雑誌、家族アルバムから撮られた白黒写真を描き写す。過去との決別のため、印象がぼやけたり、流れたり、曖昧さに主眼があった。62年からフォト・ペインティング、その後カラーチャート、グレー・ペインティング、アブストラクト・ペインティング、今回新作としてSTRIPを制作した。これらが同時並行的に行われたところに特徴があるようだ。その根底にあるのは、「ぼやけたり」、「鏡やガラスに虚像を写したり」、「レイヤーを感じさせたり」することにより出現するschein(光、仮象)であり、これこそ全ての作品に共通している。

 では、両者の相違点はどんなところにあるのであろうか。ここが大切なところであろう。
 2004年から草間は、モノクロの作品「愛はとこしえ」(2004〜07)シリーズを制作する。横顔の輪郭とか、いくつもの目とか、微生物とかが描き込まれ、これらがまとまってあるいは層をなしてうねるよう。動きのある世界である。「驚き」と「感動」を誘う。2009年からの絵画「わが永遠の魂」(2009〜11)は、草間の60年代の「水玉」と「無限の網」から脱し横顔とか目とか抽象具象いろいろ描き込んでいる。微生物の世界から宇宙までを豊かな色彩を用いて表現しているかのようである。歓喜の歌が聞こえるようだ。98〜99年の実質的な評価という念願がかなえられた後の歓喜かもしれない。これらは草間の長い生涯の集大成といってもいいであろう。作品を見て思うのは「分かりやすい」ことである。専門家から一般人までどの層にも耐えうる作品だといっていいのではないか。
 リヒターの作品は、ヴァリエーションが多いもののすべてコンセプトが一貫しているところは凄いが、誰もがそれぞれの作品を理解できるかといえば必ずしもそうはいえない。フォト・ペインティングにしても「写真」→「絵画」→「写真」のプロセスもなぜかと思わざるを得ないし、ぼやけた作品をあえて制作するなどリヒターの入口から分かりにくい。また、グレー・ペイティングがなぜグレーなのか、スキージ(擦過する)でシャインを出現させる絵画などはリヒター絵画の最も魅力的なところだが、これも見つけないと良さが分かりにくい。なのでリヒターの作品は、専門家、あるいはある程度見つけている愛好家はいいが、一般人にはなじみにくい作品群だと思うがどうか。

 話は飛ぶが、ある飲み屋でのこと。友人と飲みながら話しているうちに草間彌生の話になった。話しながら気が付くと私のすぐわきに一人の年配の女性が立っているではないか。見上げるわけにも行かずに話を続けた。まだそこに立っている。見上げ目が合うと「草間っていいですね」という。草間に関心があって話に入りたかったようだ。この女性ってこの飲み屋の奥さんだった。
 もう一つ。幸いなことに西洋美術の専門家A氏と飲む機会があり、あれやこれや話が弾んだ。こと草間の話になると先方から「草間ってどこがいいのかな、よく分からない」という。美術作品って好き好きだからこちらも「そうですか、私は好きなんですが」と。
 この2つの話ってかなり大事なことを示唆しているように思えた。
 草間の作品は、飲み屋の奥さんではないが、なぜかすぐに受け入れられる。一般人にも分かりやすいようだ。草間についての知識などなくても受け入れやすいからであろう。作品の取り込む層が広い。ファンのすそ野が広いといっていいのかもしれない。ところがリヒターの作品はその都度説明を聞くとか、調べるとかしないと分かりにくい。リヒターのコンセプトが分かりにくいからかもしれない。リヒターはドイツ人で、いわば当然キリスト教文化の傘のもとにあると考えられる。その根底にはこの文化を支える哲学思想が連綿と流れている。したがって当然アーティストの思考回路にも影響がおよび、作品が次第に理性中心、理論中心、主知主義的になり難しくなっていくのではないか。今後もこの流れが続く限り追求が進みより難しくなっていくであろう。これは西欧の考え方なのでこれはこれでいい。哲学思想が支配的でない日本ではリヒターの作品は一般人にはなじみにくいのではないか。

 話は戻るが、草間とリヒターとの違いは、リヒターの考え方が、理性中心、理論中心であるのに対して、草間の作品は、感性中心、感覚的に見ることができるのではないか。突き詰めて考えるとキリスト教文化圏の作品に対して、そうでない文化圏の作品の違いといってもいいのかもしれない。
 感覚的に作品を見てのことだろうが、先ほどの飲み屋の奥さんの草間に対する感想は本物であろう。そして草間がわからないという専門家A氏の発言も西欧的な回路でものを考える習慣が長期にわたるとあるいは草間の理解がしにくくなるのかもしれない。でも本人の言う「分からない」とは、私が考える「分からない」とレベルが違うのかもしれない。それにしても昨年開催された草間のヨーロッパ、アメリカでの展覧会は好評だったそうで草間は、世界の専門家の一部と大部分の一般人に理解されたアーティストとなったのかもしれない。そしてリヒターは、草間の逆で大部分の専門家と一部の一般人とに理解されているのかもしれない。

 
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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