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美術散歩


引込線2013(所沢ビエンナーレ)を見て

TEXT 菅原義之


会場の入口付近

 
 プレ展を含めて4回目を迎えた「引込線2013(所沢ビエンナーレ)」(8.31〜923)は、前回の第2会場だった「学校給食センター」を会場として開催された。会場は前回の半分程度だろうか、やや寂しい気がした。参加アーティストも前回の30名から17名にダウン。全体にこじんまりしたビエンナーレとなった。問題は内容である。面白い作品が何点か見られた。毎回参加しているベテラン・アーティストである戸谷成雄、遠藤利克、中山正樹、伊藤誠などの作品はそれなりに迫力があった。特に今回は遠藤利克の作品が倉庫内のやや暗い所に設置されていたためか重厚感が目立ったし、戸谷成雄の作品も独特のミニマルバロックが給食センター中央に設置され存在感を発揮していた。今回はこれらベテランを除き、特に面白いと思った作品3点を抽出してみた。

前野智彦の作品の一部



 1点は、前野智彦(1977〜)の作品、内容は「汚水処理設備・DHMO 他」である。会場の門を入ったすぐ左側、外に何やら白い大きな作品が設置されていた。設備は白一色、廻りの建物は白いビニールシートで覆われている。設備をよく見ると家庭で使う水槽がいくつも置かれ、その間を何かパイプで繋いだり、パイプが単に置かれたりしている。水槽の中の水はやや濁った薄茶色でいかにも汚水を想像させる。また何を表しているのか不明だが、いろいろな形をした白い器具や設備がいかにも役割を果たしているかのように配置されている。全体で大きな「汚水処理設備」を表現しているようだ。でも初めに記した「DHMO」は何か。ウィキぺディアによると「一酸化二水素」というものだそうで、化学式はH2O、いわば水である。それをわざと分かりにくくした表現だそうで、聞き手に恐ろしい物質のように誤認させるというジョークに使われるようだ。この汚水処理設備は、実際には機能しないだろうが、いかにもそのように見せるところが面白い。作品を見た瞬間分からなかったが、よくよく見るとそうかと勝手に納得。発想の面白さに感心した。展示が給食センターだからだろうか、まるで工場のようでありこの会場に相応しい作品に思えた。


冨井大裕の作品

 
 もう1点は冨井大裕(1973〜)の作品である。《青い垂直さん》とか《黄色い垂直さん》など7色の《垂直さん》が一列に並んでいた。内容を見ると水準器のようである。水準器にはあまり馴染みがないが、水平に使うものをここでは立てて使っているようだ。よく見ると立てた水準器の中に気泡の入った小さなガラス管(これも水準器であろう)が組み込まれているようだ。しかも床に設置された部分と立てた上の部分にバイスとかクランプとか、ものを挟んで固定する工作器具が取り付けられている。何を意味するのか不明だったが、固定するにあたり角度を微調整する器具に思えた。タイトルの《○○色垂直さん》から推して水準器を水平に使う本来の使い方でなく立てて設置しバイスとかクランプで微調整し水準器の垂直を出そうとしているように思えた。水準器、クランプ、バイスなどそれぞれの器具の本来の使い方とは異なる方法、つまりそれぞれ意識的に無意味な使い方をあえて行うことで垂直を出そうとしている行為が笑ってしまうほど面白かった。この作品にはアート作品として大事な意味合いが詰まっているように思えた。

荻野僚介の作品2点
 

  荻野僚介(1970〜)の絵画も注意を惹いた。作品を見てすぐに前回の所沢ビエンナーレ第一会場の講堂の壇上に大きな絵画が展示されていたのを思い出した。この絵画は1点でも目立ったが、今回はあまり大きくない作品が何点も展示されていた。荻野は以前埼玉近美の「ニュー・ヴィジョン・さいたま」展でも取り上げられていたが、以来関心を持って見ている。なぜか惹かれるからである。必ずしも抽象絵画一辺倒ではない。全てが筆跡を感じさせない色面の見事な配列からなる平面的な作品である。惹かれる理由の一つは、色彩が素晴らしいことである。補色の効果とか、各種の絵具を駆使して描いているのであろう。見事である。もう1点は構図の面白いことである。色面の特殊な配置による面白さがあり、具象絵画にしても同様に色面の配置が面白い。言葉では表現しにくいので写真を見ていただくしかないが、作品によってはユーモアを感じさせるものもある。これらが総合されて魅力を発揮しているのであろう。作品を見ていると心が洗われるように感じたり、発想の面白さに感心させられたりする。記憶に残る作品である。

  以上3人の作品を見てきたが、この中で特に前野智彦と冨井大裕の作品をもう一度考えてみたい。というのはこのような作品が面白く思えて仕方がないからである。以下は私の勝手な推測だが、両者に共通しているのは真剣に作品を制作しているが、内容が全く「無意味」だからである。「無意味」ってあまりよくないことに使われる言葉だが、ここでは少し違う。意識して「無意味」な作品を制作しているところが大事だ。このような作品って端的に言って面白い。逆にコンセプトが分かりにくく辟易させる作品ってある。こんな作品って肩がこる。作品って普通の人が見て感心する、感動する、面白いと思うことって大事なことであろう。もちろん「無意味」のもたらす効果が作品のすべてではない。「無意味」を取り込むのも一つの有力な方法であろう。普通の人が見てそれなりに理解できるとか、あるいは後になって“あっ!”そうだったんだど分かることって大事なことではないか。だからと言って一般の人向けに作品を制作する必要のないこと当然であろう。これこそアーティストの考え方の問題かもしれない。今回、引込線(所沢ビエンナーレ)を見てそんなことを考えるのであった。



 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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