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美術散歩


今でもより身近に感ずる「アメリカン・ポップ・アート展」

TEXT 菅原義之




 アメリカン・ポップ・アート展(8月7日〜10月21日)が国立新美術館で開催されている。この展覧会は、アメリカのジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻のコレクションからなり、アメリカのポップ・アートを総合的に紹介するものだそうである。作品数約200点、アメリカの美術館でも実現していないコレクションの全貌をこの展覧会で見ることができる。

 美術の分野で戦後のアメリカといえばなんといっても抽象表現主義であろう。図録を見ると何人かがコメントを書いているが、いずれも抽象表現主義とポップアートを比較しその違いや特徴などを述べている。抽象表現主義が欠かせない存在だからであろう。ここで真っ先に浮かぶのはジャクソン・ポロックである。斬新なドリッピング技法、綿密に計算された構想、見事な色彩の軌跡などが特徴で、これまでの絵画とは根本から異なると言っていいのではないか。その他にもデ・クーニング、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマンなどそうそうたるアーティストが登場する。当時のアメリカを代表するアーティストである。その後登場するのが抽象表現主義を批判的にとらえたポップアートへの牽引役を果たしたネオダダであろう。ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズに代表されるが、今回の展覧会を見てこの流れが一層明らかになった。


ラウシェンバーグの作品展示風景

 
 展示はアーティスト別に紹介されていたのでそれぞれの特徴が分かり見やすかった。最初はラウシェンバーグ、次はジャスバー・ジョーンズのコーナーである。
 ラウシェンバーグ(1925〜2008)と言うとやはり「コンバイン」が思い浮かぶ。身の回りにある日用品、既成品、廃品などを用いた絵画でも彫刻でもない両方にわたると言ってもいい作品である。抽象表現主義がいわゆる「高尚」、「崇高」を掲げるものだとすれば、それとはまったく逆な「卑俗な」オブジェを大胆に取り入れた作品である。この違いが痛快なほど面白い。抽象表現主義の作品がポロックを除き、抽象への生い立ちは理屈の上では分かるがあまり面白くない、むしろ周囲で作られた芸術作品に思えるのに対して、ラウシェンバーグの作品は自然に面白さが伝わるからである。作品では《ブロードキャスト》(1959)(写真)が目立った。白と黒とを用いて奔放に描かれた作品であり、しかも画面には2つのつまみがある。背後にラジオが取り付けられているそうで作品に音まで込められている。「コンバイン」の魅力になぜか惹かれる。

ジャスパー・ジョーンズの作品展示風景



 ジャスパー・ジョーンズ(1930〜)は、旗、標的などを用いたり、数字(写真)やアルファベットなどの記号を用いた作品を制作する。三次元の世界とは関係なく初めから二次元のイメージを選び取って制作した作品である。ジョン・パワーズ氏はジャスパー・ジョンズが好きだったそうで、展示作品の多さに驚く。白一色にアルファベットを埋め込むようにして描かれた作品《白いアルファベット》(1968)は、一見何が描かれているか分かりにくいが面白い表現だった。作品の種類と数が多いので、ジョーンズに関心があればこれだけでも見る値打ちがあるだろう。ジャスパー・ジョーンズも抽象表現主義のもつ「高尚」、「崇高」の世界とは全く別の世界を築いたことは大きな特徴と言っていいであろう。発想が凄い。


オルデンバーグの作品展示風景

オルデンバーグ(1929〜)のコーナーではソフト・スカルプチャー《ジャイアント・ソフト・ドラム・セット》(1967)(写真)である。カンヴァスやビニールで作られたもので、グニャット垂れ下がり見るものに驚きと違和感を抱かせる作品である。シュルレアリスムのデペイズマンの影響があるのかもしれない。ダリの時計が思い出される。

ウォーホルの作品展示風景



待望のウォーホル(1928〜87)のコーナーに入った。急に明るくなったような感じである。これまでの作品と異なり、色彩が急に派手やかになりその見事さに感心した。本展のチラシに登場する《200個のキャンベルスープ缶》(1962)が大きな壁面中央にドーンと展示されていた。周囲にはよく知られた《マリリン》(1967)と《花》(1970)(写真)などなどでありウォーホル勢揃いの感ありである。凄い。次のコーナーには《キミコ・パワーズ》(1972)が展示されていた。これを見るとウォーホルとパワーズ夫妻とがいかに親密であったかが伝わる。


リキテンスタインの作品展示風景

 
 引き続きリキテンスタイン(1923〜97)のコーナーである。キミコ夫人が述べているようにリキテンスタイン初期のカートゥーン・シリーズの収集に入ったのがやや遅かったようだ。作品はあまり多くなかった。その中では特に《鏡の中の少女》(1964)(写真右)が目立った。鏡に映る少女を描いた作品で赤、黄の2色と黒の線描とで描かれ、特徴あるドットが見事な作品だった。ウォーホルとリキテンシュタインのコーナーはさすがポップアート展のハイライトだった。
 その他ではトム・ウェッセルマン(1931〜2004)の《グレート・アメリカン・ヌード#50》(1963)。中にはセザンヌとかマネとかの作品の特徴の一部を取り込み描かれている。ここを意識して見ると面白い。ジェームズ・ローゼンクイスト(1933〜)の作品《ラナイ》(1964)も逆さまになった自動車、裸婦、フルーツなどが登場していてまるでシュルレアリスムのデペイズマンのように思った。

 これ等の作品は今からほぼ50年前のものであり、かなり前の作品のように思える。しかし抽象表現主義の絵画がいわゆる高尚、崇高を旨とした作品だったのに対して、日常品を使って制作するなど現在でも多く見られるタイプとあまり隔たりないようである。そう考えると「抽象表現主義系の作品群」と「ネオダダ+ポップアート系作品群」とでは全く異なるが、現在でもこの2つの流れが続いていると言っていいのではないか。いわゆる抽象表現主義的な「崇高系」とポップアート的な「日常系」とである。今回ベネチァ・ビエンナーレで受賞した田中功起は後者の流れに入るであろう。アートは必ずしも高尚、崇高とばかりとはいえない。私たちの身の回りにあるもの、卑近なものの中から素晴らしい発想により制作されたものが多く見られる。これらを見た瞬間「驚きで震える」ことがある。現代はこんな時代に入っているのかもしれない。アートがより身近になってきたのかもしれない。いいことである。

 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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