引き続き
リキテンスタイン(1923〜97)のコーナーである。キミコ夫人が述べているようにリキテンスタイン初期のカートゥーン・シリーズの収集に入ったのがやや遅かったようだ。作品はあまり多くなかった。その中では特に《鏡の中の少女》(1964)(写真右)が目立った。鏡に映る少女を描いた作品で赤、黄の2色と黒の線描とで描かれ、特徴あるドットが見事な作品だった。ウォーホルとリキテンシュタインのコーナーはさすがポップアート展のハイライトだった。
その他では
トム・ウェッセルマン(1931〜2004)の《グレート・アメリカン・ヌード#50》(1963)。中にはセザンヌとかマネとかの作品の特徴の一部を取り込み描かれている。ここを意識して見ると面白い。
ジェームズ・ローゼンクイスト(1933〜)の作品《ラナイ》(1964)も逆さまになった自動車、裸婦、フルーツなどが登場していてまるでシュルレアリスムのデペイズマンのように思った。
これ等の作品は今からほぼ50年前のものであり、かなり前の作品のように思える。しかし抽象表現主義の絵画がいわゆる高尚、崇高を旨とした作品だったのに対して、日常品を使って制作するなど現在でも多く見られるタイプとあまり隔たりないようである。そう考えると「抽象表現主義系の作品群」と「ネオダダ+ポップアート系作品群」とでは全く異なるが、現在でもこの2つの流れが続いていると言っていいのではないか。いわゆる抽象表現主義的な「崇高系」とポップアート的な「日常系」とである。今回ベネチァ・ビエンナーレで受賞した田中功起は後者の流れに入るであろう。アートは必ずしも高尚、崇高とばかりとはいえない。私たちの身の回りにあるもの、卑近なものの中から素晴らしい発想により制作されたものが多く見られる。これらを見た瞬間「驚きで震える」ことがある。現代はこんな時代に入っているのかもしれない。アートがより身近になってきたのかもしれない。いいことである。