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美術散歩


2回目見学、無駄ではなかったようだ

TEXT 菅原義之


「カリコリせんとや生まれけん」(会田誠著、幻冬舎文庫)

 先日「会田誠展」を見た。関心があったので見るのは2回目である。月曜日にもかかわらず大勢の人が見ていた。現代美術展にはあまり人が入らないはずだが、この展覧会は別だった。なぜかそれが気になった。
 最近読んだ本の中に「カリコリせんとや生まれけん」(会田誠著、幻冬舎文庫)がある。これは随筆集なので美術に関係のないことなど書かれているものの、随所にアート関係の記述が見られる。ここでは会田誠のアートについての考え方がよく分かる。作品の理解にも役立つ。会田特有の言い回しで上手に書いているし、なかなか筆の立つ人物だと分かる。ということで面白く読んだ。
 会田の作品は守備範囲が広くて何が何だか分からないほどである。見ていて戸惑いを隠しきれないものもあるが、多くは発想の素晴らしさ、面白さに感心する。文章では、「カリコリせんと・・」を読みながら凄く面白いところにぶち当たった。会田の最も言いたいこと、つまりアートの根幹に触れるところ。そう思うのでそのさわりを記してみよう。
 以前、上野の森美術館でやった「アートで候 会田誠 山口晃」展で、会田誠(1965〜)が岡崎乾二郎(1955〜)のパロディー作品を展示した。その時のことを綴った部分である。岡崎乾二郎といえば現代美術の世界ではよく知られたアーティストで、余白のある抽象絵画を描く人物である。作品は難しく、分かりにくい。また、浅田彰(1957〜)は思想家、批評家で岡崎のよき理解者とのことである。岡崎の作品はタイトルが長いので知られるが、会田はそのパロディー作品に、こんなタイトル付けたのだ。「美術に限っていえば、浅田彰は下らないものを誉めそやし、大切なものを貶め、日本の美術界をさんざん停滞させた責任を、いつ、どのような形で取るのだろうか。」、と。凄いタイトルである。会田はこのタイトルを本気で書いているわけではないと断っているが、後半部分はそうだろう。前半は本気なのでは? あまり書くと問題になりそうなので止めておくが、このくだりはとにかく面白い。アートの根幹にかかわる問題だからである。
 続いて会田は、「僕の信条ですけど、美術というか表現というか、そうゆうものは、間違っていることが、いや、そこまで行かなくても、アンバランスなことが肝要なんだ、と。・・・・・ぶっちゃけ、美術なんて間違ってても面白けりゃーいんです」、と。よくある"ずれ"表現の面白さを指しているのかもしれない。またもや、この延長線上に岡崎、浅田が浮かぶ。
 閑話休題、本文冒頭に、「月曜日にもかかわらず大勢の人が見ていた」と書いた。空いていると思って行ったが、人の多いのに驚いたからだ。思うに、お金を払ってでも発想の面白さ、素晴らしさに触れたいと思い来たんだろう。
 ここで気がつくのは、会田と岡崎とでは一世代違う。岡崎は55年生まれ、会田は65年である。概して50年代以前生まれのアーティストの作品ってなぜか難しい。彼らがアートの世界に入ったときの傾向がやたらに分かりにくい作品が風靡した時代だったからではなかったか。我々素人もあの時代の人たちの作品を見たり、説明を聞いたり、書いたものを読んだりするとなんとなく分かったような気になるが実は分かっていないことが多い。こんな時代だった。これに対して60年代以降生まれのアーティストになると同じコンセプチュアルでもガラリ異なり発想が分かりやすい、面白いなどで親しみのわくものが多い。なぜこうも違うのだろう。会田の作品にしても全面的に肯定しないが、ちょっとだけ自分の評価基準をずらすだけで見えてくるものがある。やはり発想が素晴らしいし面白いのだ。会田には毒があるが人を納得させるものが多い。それがいい。50年代以前生まれと60年代以降生まれのアーティストにこのあたりに大きな相違があるようだ。もちろん例外もある。いつも思うことだが、アプロプリエーション作品を制作することで広く知られる森村泰昌は51年生まれにもかかわらずあのような世界に入り成功した。凄い決断である。よほど自信があったのだろう。
 もちろんコンセプチュアルの極みを行く分かりにくい作品こそアート作品なのだという人もいるだろう。それはそれでいい。書いている自分自身もあの時代の作品が嫌いではないし、中にはいい作品も見られる。どちらが正しいかではなく、どちらが親しみやすいか、面白いかであり、そうなると当然会田の方に軍配が上がりそうである。

 2年ほど前だったか、府中市美術館で「石子順造」展をやった。関心があったのでこれも見た。思い出すが、石子順造(1928〜77)は、キッチュ論の中で、「・・・、いわゆる現代美術の"おもしろくなさ"が、しきりに気になってきた。・・・・・」、と。石子がこれを書いたのは恐らく70年代初め頃だったのではないか。そうだとすると前述のように60年代から70年代にかけての作品って確かにコンセプチュアルの極みを行っていたようで分かりにくかった。中には驚くほど発想の素晴らしいものもあったが、概して面白いとは言えなかった。専門家である石子が面白くないのであれば、我々一般人がそう思うのは当たり前の話である。その後大きく変わっていったようだ。行きすぎの反省からだろう。なので、会田と岡崎とは行きすぎの前後を分けているということができるだろう。そして会田と石子では同じ流れを指摘しているようだ。面白い一致である。


「奇想の系譜」(辻惟雄著、ちくま文庫)

 日本美術史家の辻惟雄は「奇想の系譜」(ちくま文庫)の「新版あとがき」の中で「奇想は、・・・日本美術が古来持っている機智性(ウィット)や諧謔性(ユーモア)――表現にみられる遊びの精神の伝統――と深くつながっているように思われる・・・」、として具体例を細かく挙げている。浅田が批判していたという村上隆などはここ日本美術に目を付けているようだ。カタールで描いた五百羅漢図などはその具体例かもしれない。会田は会田で長谷川等伯とか菱田春草とか、その他日本の過去の名作を引用して制作しているが、現代の日本の代表選手のような村上、会田が共に日本のこれまでのアート作品に注目しているのは、興味あるところである。西欧の評価基準一辺倒でないところが、である。

 
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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