これだけではない。《滝の絵》、《ジャンブル・オブ・100フラワーズ》なども大作である。前者は、滝で水着姿の少女が何十人も遊んでいる絵画である。少女がいろいろな格好している様子はまるで北斎漫画の現代版のようでもある。水着姿のたくさんの少女、エロス表現だろうか、と思う。後者は、これも多くの裸体の少女がこっちに向かって走ってくる姿を描いている。よく見ると身体が一部破損した瞬間だろうか。破損部分からは出血ではなく花びらが舞っているようだ。明るい顔つきで走っているが、現実は必ずしもいいことばかりではない。何時ぞや遭遇するかもしれない心の傷を表現しているように思える。明るい表情から深刻さは感じられない。横に長い巨大な作品である。
このほか面白いのはダンボールで制作した《新宿城》である。背後に都庁の近代ビルがそびえる。新旧の対比が面白い。また、《モニュメント・フォー・ナッシングU》は凄い。ダンボールで制作した巨大な作品である。彫刻といえば素材としてブロンズ、石、木などを使うが、ダンボールで素晴らしい迫力のある作品を制作する。ここでは既存の価値観を否定し、ダンボールの世界へと再構築する。こんなところが痛快そのもの。いかにも会田らしい。
ついでながら展覧会タイトル「会田誠展:天才でごめんなさい」の中の"天才云々"は、いっぱい飲みながら思いついたかなりいい加減なもの、と本人は言っているが、会田だからこそ嫌みなく聞こえるし、むしろ親しみが持てる。天才云々はどうでもいいことだが、全貌して表現方法が途轍もなく広く一人のアーティストが制作したものとは思えない。それと発想の面白さ、素晴らしさには圧倒される。自分の価値観とちょっとだけ合わないところが残念なんだが。

会田誠+21st Century Cardboard Guild 《モニュメント・フォー・ナッシング II》 2008年− ダンボール、その他 サイズ未定 Courtesy: Mizuma Art Gallery
会田誠は国内では知られているが、海外ではほとんど評価されていないそうである。これについて本人は無頓着のようだ。当然だろう。この世界に独自の価値観を持ち込もうとしているんだから、と思う。これがまた魅力的なところである。海外の評価といえば村上隆と比較すると面白い。村上は会田とは正反対だからである。この世界は現在でも欧米中心に動いている。村上は欧米中心であるからには、欧米の価値判断ルールを把握し、とりあえずそのルールに基づいて行動すれば評価されるはずだという。自分の本来の考えを主張するのはその後でいいのではないか。これが村上の考え方であろう。図書「奇想の系譜」(辻惟雄著)の中で、辻は、岩佐又兵衛を始め、蕭白、国芳に至る流れを奇想の系譜として表し、遊びとかパロディー表現こそ日本の持つ伝統的なものではないのか、と指摘している。村上の思考する方向はこのあたりにあるのではないか。
海外評価の対応という点では、村上の考えの方がオーソドックスだろう。ただ、両者に類似している点もあるようだ。日本の美術史上の作品に目を付けているところである。村上は「芸術新潮」で「辻惟雄×村上隆 ニッポン絵合わせ」でやり取りを長い間やっていたし、会田は前述のように美術史上の作品を取り込んでいる。村上は奇想派、会田は伝統派かもしれないが、両実力者の着眼点がここにあるのは興味あるところである。特に会田が今後どんな動きをしていくのか、ついていけるかどうかを含めて注視していきたいものである。