主として銀座・京橋地区画廊の共同開催する「新世代への視点2012」展は、毎年真夏に開催される。ここ何年も楽しみに見ている。毎年これはと思う作品に出合えるからである。今年は例年に比し面白かった。内容もよかったし、現代の美術傾向が読み取りやすかったからである。そんなことで何点か内容を紹介しながらその傾向と思われるものを探ってみよう。(それぞれの作品は次のURLによりご覧ください。その他一部の写真により補足掲載します。)
「新世代への視点2012」
1. 現代社会における人間像を表現
杉浦晶(1973〜)の絵画《それはわたしをシアワセにするだろうか?》(ギャラリーなつか)は、大勢の男性が黒いスーツを着て赤い箱を頭にかぶっている。誰彼皆同じに見え、何だろうと思う。個性に欠ける現代社会の人物像を表現しているのだろうか。3階にいる一人の赤い箱をかぶった男性がその箱を外そうとしている。下から恋人に"もっと自分を出して"と請われ箱を外そうとしているのかもしれない。もしそうなら男性群頑張れ!である。現代社会を端的に表現しているようで面白い。
永井優(1987〜)《ROCK OVER》(Gallery Q)の作品は、10点ほどの絵画、どれも"お面"を被っている人物画である。これも顔が見えない。ネット社会で繋がる人間像を示しているのだろうか。あるいはそれだけでいいのかと批判的にみているのか。社会の一面を鋭く表しているようだ。
また、
友成哲郎(1986〜)(ギャルリー東京ユマニテ)は、「人間以上に興味をそそられるものはありません」という。現代のさまざまな人間像を表現しているようだ。ミノトールではないが、顔は人間のようで身体は闘争的なニワトリ、あるいは穏やかなウサギなどである。象徴的にさまざまな人間像を示している。その他一人ひとりが離れ離れで半身土の中に埋まっている。複雑な現代社会における個々の繋がりに欠ける人間像かもしれない。
三者三様だが、これ等は個性のなさ、ネット社会の個々の繋がり、厳しい環境への対応など・・・これでいいのかという疑問が解決不明のまま漂っているのか、乗り越えようと模索しているのか、あるいは第三者的立場で客観的に見ているのか。いつの時代も感じることだが、三者が同時に問題提起しているのは興味をそそられるし、心配でもある。
2.日常身の回りにあるものを使って制作
小栗沙弥子(1978〜)(コバヤシ画廊)は、日常身の回りにある取るに足らない不用なものを用いて制作するそうだ。展示作品は不用物を積み上げているように見える。窓とかフロアをイメージしているようでもある。建築を想像しているのか。不用なものを生き返らせるところに意味がありそうだ。その他何枚ものバーコード・タグを集めバーコード部分だけを残し他は銀紙などで覆う(写真下記掲出を参照)。一面バーコードでできた作品である。バーコードといえば現代の経済生活に不可欠。身の回りにあってしかも見過ごされ勝ちなものをあえて取り上げる。面白い。