このほかにも面白い作品、素晴らしい発想だと思われるものが何点もあった。例えば、
冨井大裕(1973〜)の《ゴールドフィンガー》。白い壁面一面に画びょうを使った作品である。日常使用するものを使って見違えるような作品に仕上げる。発想が凄い。
石田徹也(1973〜2005)の絵画。現実にはあり得ない様子を描く。現代のシュルレアリスム絵画かもしれない。素晴らしい。31歳で夭折は惜しいの一言。
泉太郎(1976〜)の作品。何台もの自転車の後輪の一部に色彩豊かなパネルを貼付し撮った映像。発想がユニークだが、自転車を動かないように木枠で押さえたのにはなぜか「笑」を禁じえなかった。また、美術館の入口付近に並ぶ
ウーゴ・ロンディノーネ(1964〜)の12体の作品。見た中では彫刻の顔の表情が現代社会を反映しているのか、どれも悲しげあるいはそれを通り越して不安、不穏を表現しているように思えた。
今回のトリエンナーレでは、一部横浜美術館所蔵作品が展示されていた。これは来館者に多くの作品を見てもらおうとする配慮だと思うが、中には「現代美術の祭典」から離れた印象を持たざるを得ない作品が何点もあった。歌川国芳(1798〜1861)、ブランクーシ(1876〜1957)、ボール・デルボー(1897〜1994)、マックス・エルンスト(1891〜1976)などなどである。なぜかと思う。
よかったのは、写真撮影が多くの作品でできることだった。名古屋でやった「あいちトリエンナーレ2010」では2美術館内の作品はすべて撮影禁止だった。なぜかと不思議に思っていた。このような展示ではできるだけ撮影可とすべき。撮影できると現代美術に親しみが持てその普及に一層役立つことだろうと思う。帰ってから自分で思い出せるし、他の人にも写真をみせ説明できるからである。「百聞は一見に如かず」であろう。
今回回ったのは主会場2か所だけだったが、全体を見て多くの発想豊かな作品に巡り合えたことは素晴らしい体験だった。