南野馨(1966〜)
2点の大きな作品≪untitled≫。一見金属でできた大きな作品と思われるがセラミック製立体作品である。白と黒の6角形の造形物がボルトナットでいくつも連結され長さは4メートル以上に及ぶ。迫力ある作品だ。色彩、形態、大きさからそう感じるのかもしれない。この作品はセラミック製で一種の陶器である。陶芸作品はこれまで工芸と見られていたが、現在は何でもありの時代。中身で勝負だ。
以前、東京国立近代美術館で「工芸の力―21世紀の展望」展があった。その時当時の同美術館工芸課長で現在評論家でもある金子賢治が
工芸的造形論を述べているのを知った。簡単な表現だが参考になるので紹介しよう。
金子の対談主要点を抜粋すると「本当に極端な云い方をすると、発想から始まって行って素材が後から付いて行く造形と、素材から始まって、その中に発想をはめ込んで行く。要するに、世の中の造形はその二つしかないのです。素材から始まる方を、工芸的造形、そして発想から始まる方を現代美術。その二つが合さって、現代の視覚的造形芸術がある、・・・」と。
南野は作品を制作する前に緻密な設計をして、焼くことによる大きさの縮小まで計算に入れて制作するそうである。南野の作品は金子理論によれば「発想から始まる」ものであろう。
ここで
「越後妻有トリエンナーレ」で見た杉浦康益の作品が思い出された。2009年の≪風の砦≫、2006年の≪風のスクリーン≫である。両者とも中空の大きめのレンガを制作し、それを積み上げ巨大な造形物にして戸外に設置したものである。まさに砦だ。南野の作品と異なるが、これも「発想から始まった」ものであろう。
金子理論によれば「発想から始まる」作品であればブロンズ、土など素材を問わない。「やきもの」からなる南野の白と黒の量感あふれる幾何学的造形物がかくも迫力ある作品になるとは、と思う。