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美術散歩


時代の先端を探る「六本木クロッシング」

TEXT 菅原義之



≪ママン≫ルイーズ・ブルジョア作






 
 「六本木クロッシング2010:芸術は可能か?」展が森美術館で開催された。この展覧会は3年ごとに開催され今回で3回目である。
 現代の美術傾向は捉えにくい。絵画、彫刻(立体)、写真、映像、建築、陶芸、インスタレーション、デザイン、アニメなど広範囲にわたっている。相互乗り入れありで混在状態でもあろう。文字通り「クロッシング」している。そこには多くの分野の人たちが携わっている。また、タイトルの副題に「芸術は可能か?」とある。これはどのようなことだろう。一般に「芸術」というと他の分野と異なり「高尚」という「城」の中に閉じこもっている印象を受ける。現況はクロッシング状態で全く異なる。現況を捉えてこの展覧会は、外に向かって「芸術は何ができるか」、「社会にどのような影響を及ぼすことができるか」などをキーワードにアーティストを選んでいる。換言すれば美術傾向の最先端を探る意欲的なものだといえるだろう。作品もこのような視点から政治、経済、環境、宇宙などなどに及び、中にはメッセージ性ある作品もあろう。「芸術の可能性」が、いかに実現されているかを問う興味ある展覧会だ。
 こうみると、かつてヨーゼフ・ボイスの提唱した「社会彫刻」とか「拡張された芸術概念」が浮かぶ。これは社会を構成する一人ひとりがアーティストに限らず自分の仕事を通して創造的な行為をすることで素晴らしい社会が出来上がってくるというもの。社会を芸術作品とみなしている考え方だ。「芸術の可能性」とはこれに通じるかもしれない。これが今になって見直されているとすればボイスの先見性は凄い。
 「美術手帳の1月号(2010)」で椹木野衣が「・・・わたしはボイスの考えはおおむね間違っておらず、未来の芸術の使命は、芸術を破壊することなく、それを原資に万人へのエネルギーの移行と配分を行うことで、それを廃棄する方向にきちんと向き合うことだと思う。それは、芸術をめぐるあらゆる特権を排することにも通ずるが、私たちの社会はいま、はたしてその方向へと向かっているのだろうか。」という。相変わらず難しい表現だが、その通りであり、その意味で「現代を問う」この展覧会の意義は大きいのではないか。
 以上を背景に5つのテーマ「社会への言及」、「越境の創造力」、「協働の意義」、「路上で生まれた表現」、「新世代の美意識」を設け、このテーマを睨みつつ20名のアーティストを選んでいる。

作家:照屋勇賢
ここに掲載の写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.|日本」ライセンスでライセンスされています。



1. 社会への言及:現代美術が本来持つもの




 
照屋勇賢(1973〜)
 照屋はグッチ、エルメスなど高級ブランドやファーストフード店などの紙袋の側面を一部切り取り、これを利用して小さな木の立体物≪告知―森≫シリーズを作る。紙袋を横に置きその中に制作した木を据え、紙袋の口から見せる小作品である。いくつもの作品が壁面に展示されていた。袋の色によっていろいろな色彩の木ができる。細かく繊細でその変身ぶりは見事。
 また、≪来るべき世界に≫(2004)と題した配達用ピザの箱をいくつも並べて展示。一部蓋を開けその中に木を描いている。箱には「ビザくさい支配に県民怒る」とか「Anger Okinawa!」などが印刷されている。これは04年に米軍ヘリ墜落事故の事後対応に言及したインスタレーション。事故処理にあたり沖縄県警を含む行政関係者、地域住民を現場から追いやり、ピザ配達員だけを招き入れたことによる反発だろう。「社会への言及」の典型例かもしれない。
 
森村泰昌(1951〜)
 たまたま東京都写真美術館でも「森村の展覧会」が開かれ、ここでも同様の作品が紹介されていた。人気アーティストだ。森村はセルフポートレイトで知られる。ここではチャップリン演ずる映画「独裁者」を取り上げている。ナチズムに対する強烈な風刺が込められている映画だそうである。チャップリンに森村がなりきり、実質的に独裁者ヒットラーを演じている。帽子のエンブレムが「笑」の一字。この独裁者の演説内容もしきりに独裁者批判だ。セルフポートレート、「笑」のエンブレム、独裁者批判など面白いし、森村のオリジナリティが散りばめられ見事だ。政治への言及例だろう。

作家:森村泰昌
ここに掲載の写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.|日本」ライセンスでライセンスされています。






作家:米田知子
ここに掲載の写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.|日本」ライセンスでライセンスされています。





米田知子(1965〜)
 以前に原美術館で米田知子展があった。このときに印象に残ったアーティストだ。1枚の写真に2つの意味があるように思う。一つは「目に映る内容」と、もう一つは「その背後にあるもの」である。 
 展示作品は≪Kimusa≫(2009)である。コメントでは「ソウルにある元韓国国軍機務司令部『キムサ』の内部を写したもの。壁・窓・カーテン・ブラインドなど、外部と接しつつも遮断された部分を主題とするが、・・・そこで何が行われその向こうに何があるのか、我々の想像力はかき立てられる」と。これは「目に映る内容」だろう。一方、「その背後にあるもの」とはコメントにて「この建物は日本統治下では官立病院として使われ、12年には国立現代美術館の分館になる予定・・・」だそうである。この建物に対する政治問題、歴史問題を問いかけているのだろうか。地味だが対象の選定とその背後の問いかけが単なる写真作品ではない。素晴らしい。

2. 越境の創造力:領域横断による可能性
 


作家:宇治野宗輝
ここに掲載の写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.|日本」ライセンスでライセンスされています。




宇治野宗輝(1964〜)
 90年代から既成品を組み合わせたサウンドスカルプチャーを制作、04年からはどこの家にもある電気製品や日常使用する家具類を使ってサウンドシステムを発表しているそうである。
 展示作品は≪THE BALLAD OF EXTENDED BACKYARD≫で、使用される家具類は大量生産、大量消費を象徴しているかのよう。作品は3つに分かれ「CAR」「TOWER」「TANSUROBO」からなる。「CAR」はボンネット内のスピーカーがビートを打つ。背の高い「TOWER」の最上部にはデュシャンの≪びん乾燥器≫ごときが置かれアートだと主張しているかのよう。その脇にはスピーカーがいくつも積まれそこから音楽がガンガン流れる。「TANSUROBO」はロボットのよう。上に小さいテレビが2つ、目だ。箪笥の引き出しを3本ずつ左右に縦に置く、太い足だ。胴の部分にはスピーカーや箪笥の残りを積み上げる。周りは何やら混在状態である。全体として何とも表現が難しいが、日常品を集めた「音」と「光」と「動き」のある3分割作品だ。規模とパーカッションが凄い。文字通り迫力あるサウンドスカルプチャーだった。


作家:加藤翼
ここに掲載の写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.|日本」ライセンスでライセンスされています。





 
加藤翼(1984〜)
 大きな木製の箱が置かれていた。コメントによると加藤は「引き倒し」というプロジェクトを行っている。これは屋外に設置した巨大な木製の構築物にロープをかけ、大勢で引っ張って倒すもの。なぜそんなことをするのか。大勢の相互に無関係な人が参加して引き倒し、この瞬間の衝撃を共有し相互にコミュニケーションを持つことだとしている。相互のコミュニケーションが希薄になっている現状をいわゆるアート作品を通して問いかけているとのこと。ここでは自分の家とかアパートを縮小して制作した構造体を展示していた。始め何か?と思うが「芸術の可能性」という視点からみると極めて面白い。「引き倒し」の実施模様を映像で見たが、あまりにも多くの参加者とそれを取り囲む観衆がいるのに驚いた。参加者、観衆の集積効果抜群。一つのアイディアであろう。ボイスの笑いが見えるようでもあった。
 
3. 協働の意義:孤高の芸術家から開かれたコラボレーションへ



Chim↑Pom(6人組アート集団)
 このグループは原美術館の「マイクロポップ的想像力の展開」展で見た。≪イケてる人達みたい01≫(2008)は、火を使った映像作品である。着想がユニーク、ユーモアある作品だった。
 インターネットでChim↑Pomへのインタビュー記事には「面白くなければ意味がない」、「もっとシンプルに、ギャルがバンドをやるような世界になっていった方が面白さの幅も世界的に広がっていくと思ってます。」などという。Chim↑Pomの特徴そのものだ。
 作品≪Show cake xxx!!≫は、中央にロダンの≪接吻≫を流用した作品が置かれ、その周辺は飲み物、食べ物が散らかり放題で手に負えない。正面の壁面にはART IS IN THE PARTYと食べ物を使って書かれている。後かたずけしないパーティ後の現場だ。ここでいうARTはロダンの≪接吻≫を指しているのだろう。ARTもこの雰囲気の中では台無しである。よく見ると接吻場面は1本の短いポッキーチョコを男女が相互にくわえているだけ。「高尚」なロダンの作品とは全く乖離していると言いたげ。アートの現況を的確に指摘しているようだ。ロダンが悪いわけではない。ARTをロダンの作品で代表できないほど現況は変わっているとの表現だろう。いかにもChim↑Pomらしい発想で痛快。まさに的を射ている。

4. 路上で生まれた表現:ホワイトキューブの外で生まれた力強いアート

作家:Chim↑Pom
ここに掲載の写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.|日本」ライセンスでライセンスされています。





作家:HITOTZUKI
ここに掲載の写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.|日本」ライセンスでライセンスされています。




HITOTZUKI
 広いコーナーへ出るや壁面に青、白、黒で描かれた作品≪The Firmament≫(天空)の展示。巨大で鮮やかな色彩に見とれる。制作したHITOTZUKIは壁画制作を中心に日本におけるストリートアートの可能性を追求するKamiとSasuによるユニット。「日と月」というユニット名には男と女、陰と陽、プラスとマイナスなど相反する二つの要素が込められ調和した世界を創造するという意味だそうである。壁面に巨大なペインティングが施され、その前面にスケートボードのセクションを取り入れた作品である。実際にスケートができるそうだ。壁面につながる青の世界≪The Firmament≫(天空)である。会期中にはスケーターでもあるKamiと交流のあるスケートボーダーによるライヴセッションも実施されるそうである。ストリートアートもこうであれば見事。くれぐれも誤解のないよう願うのみ。




作家:小金沢健人
ここに掲載の写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.|日本」ライセンスでライセンスされています。


 
5. 新世代の美意識:その他の表現や思考

小金沢健人(1974〜)
 水の入ったコップの縁を指でしきりにグルグルと撫でている映像作品である。この動作を映像に撮り編集し、室内4面の壁面に数多くの同じ映像を少しずつ時間差を設けて映したものだろう。周りからは単調だが、不思議な「音」のハーモニーが流れる。心地悪くはない。コップの縁を撫でるだけで音がでるものだろうか?と思う。小金沢は、身の回りにあるものを作品の素材として用い、意表をつく方法で手を加え、「動き」や「音」などと組み合わせることで、日常の中に潜む謎や美しさを現出させるそうである。「単調な動作の連続」と「不思議な音のハーモニー」が印象に残る。発想はユニークで面白いが、作品としてやや単調か。タイトルは≪CANBEREAD≫である。Can be readと書かないところが狙いか。でも内容はややわかりにくかった。

 このほか発想のユニークな作品を何点も見ることができた。いくつもの発見もあった。この複雑な時代、コンセプト、アイディアが勝負なのか。アーティストそれぞれが総力を挙げ、努力している様子が手に取るように分かった。しかも、なぜか、そこには「ゆとり」、「楽しむ」などが垣間見られた。アイディアが素晴らしかったからかもしれない。今後も多くの作品を楽しみたい。

 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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