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美術散歩
ボイス自身
「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」 2009-2010年
水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景
撮影:松蔭浩之
写真提供:水戸芸術館現代美術センター

「社会彫刻」の提唱者、
ヨーゼフ・ボイス

TEXT 菅原義之




 水戸芸術館での「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」展(09.10.31〜10.01.24)は再びボイスを思い出させてくれた。ボイスにはなぜか興味がある。必ずしも作品を多く見ているわけではない。アクションも知らない。でも関心がある。独特の考え方と並外れた実行力とによるのかもしれない。

 ボイスは1921年生まれである。45年の終戦時に24歳、当然ながら参戦している。この年代の男性はほとんど参戦せざるを得なかったであろう。同年代の日本人の多くは若くして亡くなっている。昔、高校の名簿を見てあまりにも固まって死亡者の多い年代が続くのに愕然としたものである。ドイツでも同様だったであろう。ボイスは多くのドイツ人の中で幸運にも生存者側に回った。
 彼はドイツ空軍の急降下爆撃機に乗っていてクリミア半島上空でソ連の高射砲によって撃墜され不時着、瀕死の重傷を負った。たまたまタタール人に助けられ九死に一生を得た。傷口に脂肪を塗り、フェルトで覆ってもらい寒さをしのいだからだそうである。

 戦後の47年、ボイスはデュッセルドルフ芸術アカデミーに入り、彫刻家としてスタートする。
 落ち着いて初めて見えるものは、自分の幸運と同時にナチドイツの犯したホロコーストの重圧が大きくボイスの心に刻まれたようである。
 図書「ボイスから始まる」(菅原教夫著)に「・・・想像されるのは、ボイスにとってドイツが背負うホロコーストの罪はあまりにも重く、これをどう贖い、傷をいかに癒すかに苦慮し続けたことだ。」と。ボイスの考え方をみるとこれらの問題抜きにはあり得ないことが分かる。戦争と平和の両時代体験者ボイスの宿命だったのかもしれない。

映像設置風景
「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」 2009-2010年
水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景
撮影:松蔭浩之
写真提供:水戸芸術館現代美術センター
 ボイスの考え方は分かりにくい。ユートピアの世界を想像しているかのようにさえ思える。それを地で実行していった。それだけに興味をひかれるし面白い。その根底には多くが詰まっているようだ。
 ボイスといえば「彫刻理論」が独特である。前掲書「ボイスから始まる」(p.111〜112)に、ボイスの彫刻理論を分かりやすく記しているので引用しよう。
 「ボイスの彫刻理論の核をなすのは〈変化〉である。そして、この変化は〈温める〉と〈冷やす〉ことによってもたらされる。彫刻の伝統的、基本的な作法にはモデリング(肉付け)やカービング(彫ること)・・・の技法がある。ボイスはこの伝統的作法を冷温の作用によって置き換えるのだ。」と。脂肪は冷やしたり、熱したりすると固まったり溶けたりする。また、フェルトには断熱作用があるし、銅線は熱の伝導作用がある。脂肪、フェルト、銅線が彼の彫刻理論の中心となる物質だ。これらを使った作品が多い。
 この考え方は物質に限らない。人の精神にも当てはまるし、人の集合体である社会にも当てはまる。冷え切った人の精神や社会の諸制度は硬直化するが、温めることによって健全な体質に変えることができる。教育する(温める)ことによって人が本来持っている創造力を引き出すことができ、より健全にすることができる。個々人が健全になり、同時に政治や経済も改革する(温める)ことで健全になれば社会も変わっていく、と。これこそ「社会彫刻」であるという。このような展開で「彫刻理論」は「社会彫刻」へ発展している。
 ボイスは「すべての人は芸術家である」という。すべての人が画家、音楽家だというのでなく、すべての人は創造力という能力を持っている。どのような分野でも誰でもこの能力は発揮できるし、発揮すれば社会を変えることができる。すべての人は「社会彫刻」するための一員であり、その意味で「すべての人は芸術家である」という。これは「社会」そのものを「芸術作品」とみなす考え方で、これこそボイスのいう「拡張された芸術概念」であろう。換言すれば「社会彫刻」そのものが「拡張された芸術概念」といえるだろう。
 ボイスは73年に「社会彫刻」の実現に向かって「自由国際大学(FIU)」を設立する。79年には「緑の党」の候補者として立候補し、政治や経済の改革に乗り出そうとする。「拡張された芸術概念」の実行である。結果は当選しなかった。また、82年にはカッセルにて開催されたドクメンタ7(現代美術展)で環境保護のため≪7000本の樫の木≫を植える運動を開始する。エコロジー運動である。これも「社会彫刻」推進のためだった。

 ボイスの主張する「すべての人は芸術家である」、「拡張された芸術概念」はあまりにも独特で当時の常識では考えにくかったであろう。ボイスは自信とカリスマ性とでこの考えを強力に進めた。ボイスの良心と責任感とがそうさせたのかもしれない。時には入学拒否された学生のためにボイス教授は入学を要求して芸術アカデミーの事務局を占拠する。その結果解雇通告を受けた。後に和解するが、ボイスの解雇通告に対する国際的な抗議が大きく影響したようだ。それだけ「社会彫刻」思想が理解されていったのであろう。
 デュシャンはレディーメイドで、ウォーホルはコカコーラで美術の範囲をグーンと広めた。ボイスはどうだろうか。前2者が美術の枠をグーンと広めたのに対してボイスは政治、経済などを含めて各分野の境界を取り払ってしまったといえるかもしれない。凄い。

 展示作品に目を転ずると、≪芸術=資本≫(1979)があった。何度か見ているような気がした。本の挿絵でかもしれない。中折帽をかぶり白いベストを着た典型的なボイスの立像、その背後にマンモス?の骨格が置かれ一番上にkunst=KAPITALと手書きしたカラー写真である。しかも反り返った牙の一方はkunstを、もう一方はKAPITALを指しているかのよう。力の入れようが分かる。ここでいう「資本」とは個々人の持つ創造力や能力のことだろう。「すべての人は芸術家である」を物語っているようだ。
 ≪フェルトスーツ≫(1970)は壁面の高いところに吊るされていた。サイズはかなり大きかった。また、フェルト製の黒い≪ジョッキー帽≫(1985)もあった。中を覗けるように上下逆さまに置かれ、中に黄色い脂肪がいっぱい詰められていた。一見変な作品である。ボイスの得意とするフェルトや脂肪を使った作品だ。フェルトは「温める」ための熱の貯蔵庫、脂肪は「社会彫刻」推進のためのエネルギー源だろう。
 ≪7000本の樫の木≫(1983)。樫の木を植えその脇に玄武岩を置く、両者はもともとセット。展示室には床に玄武岩が置かれ、玄武岩を撮った写真が壁面に展示されていた。「社会彫刻」思想がエコロジーにまで及んでいる例であろう。

 ボイスは戦後のドイツが生んだ世界的アーティストだ。それだけにドイツをはじめ多くが何らかの影響を受けたのではないか。
 ドイツはどうか。ボイス(1921〜1986)を戦後の第1世代だとすれば、その後の世代にはリヒター(1932〜)、バゼリッツ(1938〜)、ポルケ(1941〜)、キーファー(1945〜)などがいる。ボイスが背負ったホロコーストの罪は当然意識しながら、ナチドイツが否定した退廃芸術を見直し、さらに新しい芸術を目指したであろう。当然アメリカ美術の影響もあるだろう。こう考えると、バゼリッツの倒立絵画は抽象絵画とは別な領域で新しい独特の絵画を創造したとみることができるだろう。リヒターやポルケはアメリカのポップアートの影響を受けつつドイツ独特のものを追求した。ボイスの精神を受けながらもドイツ的戦略を打ち立てたのではないか。キーファーはいろいろ物議を醸し出したがボイスの影響を最も受けている一人であろう。
 最近「レベッカ・ホルン展」を見た。作品≪アナーキーのためのコンサート≫(1990)はグランドピアノが天井から吊るされ鍵盤が間歇的に飛び出すもの。凄い迫力で一瞬度肝を抜かれる。ホルン(1944〜)独特の身体のエクステンション作品の一例だろう。ところがボイスにもグランドピアノを使った作品がいくつもあるようだ。≪グランドピアノのための均質浸透≫(1966)はフェルトで覆われ、側面に赤十字が見える。他にも思い当たる節があるが、ホルンの作品はボイスへのオマージュを意図しているのではないか。


 ドイツ以外にも影響を受けたアーティストは多いだろう。日本ではどうか。宮島達男は99年のヴェネチア・ビエンナーレで≪メガ・デス≫と≪時の蘇生:柿の木プロジェクト≫を日本館に展示。両者とも印象に残っている。≪時の蘇生:柿の木プロジェクト≫は、宮島が長崎で被爆した「柿の木」から生まれた苗木を広く世界に向かって育てようと76年に立ち上げたプロジェクト。悲惨な戦争を忘れず、平和を希求する気持ちを持ち続けようとするもの。貴重な試みでありこれも「社会彫刻」とみることができるのではないか。
 ボイス展の関連書籍で音楽家の坂本龍一が「more trees」というプロジェクトの発起人になっているのを知った。ここで彼は「ボイスの影響というよりはたまたまなんですけれども、ボイスの≪7000本の樫の木≫プロジェクトには潜在的に影響されているのかもしれません。」という。素晴らしいことである。

 
 水戸芸術館の展覧会会場には84年にボイスが来日したときの関係者インタビュー映像が何点もあり、東京都現代美術館チーフキュレーターの長谷川祐子は次のように言っていた。「ルネッサンスを勉強しようと思っていた私が、コンテンポラリーアートに関わるようになったのには、ボイスが大きく影響しています。・・・」という。ボイスの影響力はいろいろなところで見られるようだ。

 最後に気になる点である。ボイスが戦後ドイツの第1世代だとすれば、僅少例だが、リヒター、ポルケ、バゼリッツは第2世代だと勝手推測している。そしてキーファー、ホルンが第3世代だとすれば、第2世代より第3世代の方がよりボイスの影響を受けているように思うがどうだろうか。その理由は不明だが、恐らく第3世代の影響を受けやすい時期(年代)とボイスの活躍期、影響力増大期とがほぼ一致したからだろうか。
 ここまでボイスの足跡を辿ってみると「社会彫刻論」がおぼろげながら明らかになってきた。デュシャンやウォーホルもそれぞれ美術の枠を大きく広げたが、ボイスは美術と他の分野の境界を取り払ったかのように思える。アヴァンギャルドというのか、革新的というのか、本文最初に「ボイスに関心がある」と書いたのもこんなところが理由かもしれない。

 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 


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