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東京都現代美術館で開催の「レベッカ・ホルン展」を見た。レベッカ・ホルンは現在活躍中のドイツの女性現代美術家だという以外はよく知らなかった。そんなことで楽しみに美術館に向かった。入館したのは2時半。3階の展示作品をじっくり見て、1階の映像の部屋へ。映像作品8点。事前のチェック不足もあってどれから見たらいいか分からず、とりあえずとっかかりの作品と最後のもの2点を見た。見終わると5時半になっていた。
後で分かったが、映像作品は思いのほか多く1点1点が長い。映像を含めると午後からではとてもすべてを見られない。映像作品だけで約7時間かかる。午後から出かけたのが間違いだった。午前中から行っても映像作品まで見ると1日では難しいかもしれない。そんなこともあってその後にもう1回見た。
映像の中に多くの立体作品が登場する。映像を見ることではじめてホルンの考えや展示作品の意味あいが分かるのかもしれない。こんな思いを強く持った。
レベッカ・ホルンは1944年ドイツ生まれ。63年ハンブルグの美術大学入学。60年代中頃から身体を拡張あるいは変形させる装具を身に付ける作品を制作する。これにかかわった合成素材により68年に肺を悪くし長期の闘病生活を余儀なくされる。闘病生活の中で健全な身体への願望、孤立感からの脱却を痛感することになる。これらがその後の作品に強く影響することになるようだ。身体を強調するようなエクステンション(拡張)作品が登場する。≪フィンガー・グローブ≫、≪ヘッド・エクステンション≫ほか数々の身体の拡張表現作品が制作される。これがホルンの発想の原点かもしれない。闘病生活中に痛感した逆境を跳ねのけ、むしろ活かす形で作品に取り入れる前向き、積極的思考はなんと強靭な精神力を持っていることか。と思う。
ここでふと草間彌生(1929〜)が浮かんだ。彼女も少女時代から持つ妄想や幻覚症状に悩まされたが、これを乗り越えてむしろそれを取り込みあのような素晴らしい作品を制作した。草間は1957年にアメリカに渡る。主にニューヨークで活動し73年に帰国する。レベッカ・ホルンは72年にニューヨークに行く。時代がほんの少しダブる。ホルンは草間の強靭な精神力について知っていたか、参考になったかのどちらかかもしれない。さもなければ両者の持つ共通する精神力の強さかもしれない。
レベッカ・ホルンは69年の夏に病院から自宅に戻るが外出はまだ控えざるを得なかったようだ。アトリエで身体をテーマとする彫刻の制作に取り掛かる。
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記録映像 「パフォーマンスU」 1973 (C)2009:Rebecca Horn |
作品を見てみよう。(『』内は映像作品、≪≫内はその他の作品)
ニューヨークに拠点を移してからは、作品の比重はしだいに映画、ヴィデオ、パフォーマンスに傾いていくそうである。映像作品 『パフォーマンス1』(1972)、 『パフォーマンス2』(1973)が制作される。両映像ともエクステンション作品が多く登場し、当時のホルンの活躍ぶりがよく分かる。 ≪平行棒≫や前出の ≪フィンガー・グローブ≫、 ≪ヘッド・エクステンション≫ほか数々である。多くのペンシルのついたマスクを装着し首を左右にして壁面に絵を描く ≪ペンシル・マスク≫も凄い。描かれた絵も単純だが見事。ホーンの心が込められているからだろう。
記録映像 「パフォーマンスU」 1973 (C)2009:Rebecca Horn
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映像作品『ベルリン―9つのパートからなるエクササイズ』(1974-75)は、ニューヨーク滞在中だったが、ベルリンにも家を借りそこで制作した作品である。例えば≪思うにまかせぬ足を固定する≫は2人の男女それぞれの脚の側面にいくつもの磁石を取り付け二人三脚のようにして歩き回るもの。お互いに息が合えば両足がピタリと付きうまく歩き回れるが、いったん崩れるとバラバラになり歩けないか離れてしまう。闘病生活で痛感した孤独感。この孤独感からの脱却を目指すがお互いに心おきなくコミュニケーションを取ることのむずかしさを表現しているのか、何とかしてコミュニケーションをとろうとしているのか、そのどちらかかもしれない。分かるような気がする。
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映画 「ダンス・パートナー」 1978 (C)2009:Rebecca Horn
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『ダンス・パートナー』(1978)はバレエ学校にダンスを習いたい盲人やここに滞在を希望する双子の姉妹が登場する。見知らぬ者同士のここで繰り広げられる物語。この作品で気になったのは最後に?登場する「踊るテーブル」である。キャスター付きテーブルが4本足を動かして部屋の中でカタカタ踊る。何だろうと思う。図録中の論考で「〈踊るテーブル〉では、後の作品をも形成するヴィジョン、つまりオブジェには魂があり、・・・・ホルンは、映画、彫刻、インスタレーションに、レディメイドのこのような アミニズム的な要素をとりあげ、コンセプチュアル・アートというよりも、心霊的な儀式とのより大きな近親性を示した」と。ここの「オブジェには魂がある」という考え方がホルンの重要な部分ではないだろうか。その後の作品に多く表現されているように思う。 ≪アナーキーのためのコンサート≫(下記)などその典型ではないか。 |
映画 「バスターの寝室」 1990 (C)2009:Rebecca Horn
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82年にホルンはドイツに帰国する。 『バスターの寝室』(1990)はアメリカの喜劇俳優 バスター・キートン(1895〜1966)の痕跡を追いかけ、キートンが滞在したといわれる「ニルヴァーナ・ハウス」と呼ばれる精神疾患の療養施設を舞台に撮影されている。他の世界とは切り離された奇妙な世界が展開される。ホルンの闘病生活時に痛感した社会と切り離された世界の延長かもしれない。また、白色の長い袖付きの奇妙な衣服。これを着ると身体が自由にならない「拘束服」やスイッチ一つで自由にコップの水が飲める機能付き「車いす」が登場する。「拘束服」は闘病生活時に痛感した自由にならない世界を表現しているかのようだ。「車いす」は時には無人であちこち動き回る。「オブジェに魂がある」があてはまりそう。水の飲める機能付きは身体のエクステンション表現か。この映像のあちこちにホルンの考え方が表現されているようだった。 |
《アナーキーのためのコンサート》1990 ピアノ、モーター Photo: Attilio Maranzano (C)2009:Rebecca Horn
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『過去をつきぬけて』(1995)はロンドンのテート美術館、グッゲンハイム美術館ほか各美術館への巡回を回顧する映像作品である。『バスターの寝室』に登場した主演者とホーンとの対談が時々現れこのやり取りでホルンの考え方が分かる。ホルンは「水滴一つが作品になる」、「不条理よね」だったか。また、「グッゲンハイム美術館には彫刻は似合わない。この美術館そのものが美術作品だから。むしろ音楽の方がいい」とか。
いろいろな作品が登場する。テート美術館では≪アナーキーのためのコンサート≫(1990)の展示風景。グランドピアノが天井に逆さに吊るされ、その蓋が間歇的に開き鍵盤が内部から押し出されるように飛び出す。同時に低音が空間に広がる。なぜ?恐らくグランドピアノそのものが魂。人物につながるのかもしれない。鍵盤が外へ飛び出すのは指のエクステンションかもしれない。また、≪過ぎゆくとき≫(1990-91)はバスター・キートンのオマージュ作品のようだ。展示コーナーの周囲部にリールから外されたフィルムそのものが雑然と山のように置かれている。中央部には1足の靴が。キートンの靴のようだ。天井には左右から金属棒が時々スパークする。情熱とか緊張感などを表しているのか。フィルムの山積み、一足の靴、スパークの姿を見て『バスターの寝室』でわずかに見たキートンの活躍ぶりが浮かんでくるようだった。
展示作品では3階の展示室に入ってすぐ目につく2点、≪ピーコック・ペンシル・モーニング≫(2009)、≪バタフライ・ムーン≫(2008)。前者は文字通り金属棒の先に色鉛筆を付けたもの20数本を使ってピーコックが羽根を半円形に広げたところを表現している。時々その羽をたたむ。後者はケース入りの小作品。小枝にブルーのきれいなバタフライが、空には月が見える。時々バタフライが羽を動かす。両者ともモーター付き、一種のキネティック作品だろう。近作である。同じ身体性表現でも洗練され小作品ながら素晴らしい。 |
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≪過ぎゆくとき≫、≪アナーキーのためのコンサート≫は前出。前者は初見では分かりずらい。後者はグランドピアノの宙吊りである。発想が凄く度肝を抜かれる。迫力がある。
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≪ペインティング・マシーン≫(1999)は壁面近くの高いところに上下左右に首を振るパイプがあり、ここから絵具を噴き出し壁面に絵を描く。いろいろな軌跡が描かれる。同時にしたたり落ちる絵具が別の絵を描くように思える。両者が混合した面白い絵画が生まれる。パイプは手のエクステンションであろう。前出の≪ペンシル・マスク≫(1972)が身体性の点から直接的表現だったのに対してこの作品はマシーンを使用し間接的。内容は前者の迫力に対し、マシーンの方は洗練され見事。両者とも素晴らしかった。(画像の作品は今回展示のものとは異なるもの)
《愛人たち》 1991 インク、モーター Photo: Attilio Maranzano (C)2009:Rebecca Horn [参考図版] |
《鯨の腑の光》 2002 水槽、作家による詩、ハイデン・チザムの音楽 Photo: Heinz Hefele (C)2009:Rebecca Horn
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≪鯨の腑の光≫(2002)は薄暗い大きな部屋である。中央部に水槽が置かれている。周囲の壁にはホルンの詩だろう音楽に合わせてゆっくり流れる。巨大鯨の胎内にいるのか。天井から下がる棒が水面に触れゆっくり攪拌を始める。波紋をもたらす。水面から反射し壁面に投影されるホルンの詩は壁面に揺るぎをもたらす。「…水の一滴そして空気が鯨の内部でかたちを結びひとつの叫びとなる。・・・」ホルンの詩の一部である。
≪ペソアのためのハート・シャドウ、シネマ・ヴェリテ≫(2005)。直径2メートルほどの水槽が床に置かれ、斜め上から水面に向け一本の金属パイプが覗いている。ここに蛇が絡まっているそうだ。間歇的に蛇が頭を突っ込んで水槽に波紋をもたらす。斜め上から光が水面に投射され反射した波紋が壁に映る。壁面像の見事なことこの上ない。しばし見とれた。映像『過去をつきぬけて』でホルンの言う「水滴一つが作品になる」。この波紋を指しているかのようだ。≪鯨の腑の光≫の中の詩の通り、この波紋は「ペアソの叫び」かもしれない。フェルナンド・ペアソはポルトガルの詩人だそうである。 |
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映像では『パフォーマンス1』、『パフォーマンス2』、『過去をつきぬけて』が、展示作品では上記の作品が特に印象深いものだった。そのほかにも素晴らしい作品を何点も見ることができた。
映像と展示作品の両者を見て初めてホルンを見たといえるのではないか。各映像は長いが興味を持って見ることができた。機会があればまた見たいと思っている。そんな魅力あるアーティストだ。ホルンにつき少しでも理解が進み収穫は大きかった。
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著者プロフィールや、近況など。
菅原義之
1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。
ウエブサイト アートの落書き帳
・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。
・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。 |
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