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7月6日(日)東京・京橋区民館で開催された主題「80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術」、副題「―画廊パレルゴンの活動を焦点として―」のシンポジウムに出席した。
パネリストは市原研太郎、大村益三、暮沢剛巳、藤井雅実、吉川陽一郎の5名。ほぼ3時間にわたって行われた。当時の「画廊パレルゴン」主催者だった藤井雅実は「80年代は断片的でわかりにくい。中途半端で歴史の隙間に漂っているかのようである。その中で画廊パレルゴンがターミナルの役割を果たしていた」という。ここで活躍した画家が何人も紹介されていた。お蔭さまでわかりにくい80年代に一層興味をもつことができた。現代の美術最前線のスタートはこの辺りにあるのかもしれないと。いい機会なのでシンポジウムを参考に「80年代の流れ」と「80年代に活躍し始めた50年代生まれの作家」について概略記してみた。
「80年代の流れ」
戦後のアメリカでは抽象表現主義、ミニマルアート、コンセプチュアルアートと時代の経過とともに次から次へと発展的進化があったが、70年代に入って、モダニズムが限界点に達し、大きな物語の効力が失われていった。80年代に入ってこれを乗り越える意味で新しい考え方、ニューペインティング(ニューウエーヴ)が登場。70年代絵画停滞時代から「絵画の復権」である。アメリカではジュリアン・シュナーベル、ドイツではキーファー、バゼリッツ、イタリアではクッキ、クレメンテなどが出る。
日本ではどうだったか。60年代末から70年代にかけて「もの派」や「ポストもの派」に代表される作品が展開された。これは物を作品制作の素材とせず、そのまま主役として登場させるもので、いわば造形行為の不在であり、還元化の限界まで来ていたといえるのではないか。このようなときにニューペインティングが紹介された。大きな物語に左右されることなしに、何をどう扱っても良いという考え方が支配的になった。
ニューペインティングは日本では新しい傾向として定着しなかったが、イラストレーションと結びつき、ニューペインティング風描法(具象絵画)が浸透した。81年「画家宣言」の横尾忠則ほか、大竹伸朗、日比野克彦などが該当するだろう。
80年代半ば頃からシミュレーショニズムが登場する。これは「メディアで使い古されたイメージや、誰もが知っている絵画作品などのイメージを、自身の作品に意識的に盗用(アプロプリエーション)する美術運動」(「クリティカル・ワーズ」より)で、代表的なアーティストといえばピーター・ハリー、ジェフ・クーンズなどだそうである。日本では森村泰昌、福田美蘭などがこれに当たるだろう。
「80年代に活躍し始めた50年代生まれの作家」(同年生まれは順不同)
作家の選択は私の勝手判断で、強いて言えば知っている度合いの高い人を選んだ。また、次の6名の内森村泰昌は大阪、そのほかは東京を活動の拠点にしていることを加筆したい。
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森村泰昌(1951〜)
85年(34歳)、初めてゴッホの自画像に、自らが扮して入り込みゴッホに成り代わる。それを大型カラー写真に撮り発表。過去の誰でも知っている絵画に自ら入り込み、成りきるという意味でシミュレーショニズム作品の典型ではないか。時代の流れを早くも読み取り85年から取り掛かるところがすばらしい。美術評論家、松井みどりによると「85年くらいからアプロプリエーションに変わってシミュレーショニズムという名が登場するようになる」という。これはアメリカでのことだから、森村はアプロプリエーションといわれた頃から研究していたんだろう。いかにも戦略的だ。作品はわかりやすく面白い。出身は大阪である。大阪人気質が出ているように思う。07年横浜美術館での森村泰昌展はユニークなものだった。全員にイヤホーンを貸与、講義形式で「なぜこのような作品を制作したか」、「美をどのように考えたらいいか」などを具体的に説明、誰でもよくわかる、楽しくなる美術展だった。
去年のヴェネチア・ビエンナーレ時にサン・マルコ広場の画廊で森村の個展が開催されていた。ヴェネチアの中心地でビエンナーレと同時開催、いかにも国際人だという証のようでもあった。
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舟越桂(1951〜)
80年に木彫による半身像「妻の肖像」を始めて制作。「初めから人物にしか興味がなかった」という。88年のヴェネチア・ビエンナーレ、92年のドクメンタIXに出品するなど国内のみならず海外でも活躍する。
舟越は楠(くすのき)を使った人物像に大理石の眼を嵌め込んだ彫刻を制作。初期の着衣の人物像から、近年の胸をあらわにした裸体の半身像まで変化し続けている。最近作「スフィンクス」は頭部から垂れ下がった革製の長い耳が特徴的。07年横須賀美術館のグランドオープニング展、現在開催中の東京都庭園美術館で見た。中には両性具有作品もある。舟越は作品制作前に何枚もデッサンするそうである。そのときのことを次のようにいう。「クノップフの絵に、非常に色っぽい女性の姿をした豹の作品がありますよね。この耳の形が(デッサンに)出てきてから、男の筋肉質な身体に乳房がついていてもいいなというのは割りと短時間でぱっと浮かんできたと思います」と。また「デッサンの中に、はっと何か見えてきたり、・・・、何だか変だけれど面白いかたちが出てきた、・・・、(これらが)自分が変わっていく原動力になってきた・・・」ともいう。性別ほかを超越した全体として「調和」の取れた美しさを目指しているということだろう。
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川俣正(1953〜)
70年代末にデビュー。川俣は「当時はもの派が目の前にある大きな壁だったが、どこかで乗り越えなきゃとは思っていた。もの派の影響を受けたわけではない」という。「ニューペインティング」の影響も受けていない。79年から現在に繋がる作品を制作。82年にヴェネチア・ビエンナーレに選ばれる。80年代はインスタレーションがアートのひとつのジャンルとして確立した時代だそうである。川俣はその真っ只中で活躍、インスタレーションから各種プロジェクトへと歩を進める。現在では世界を舞台に活躍中である。
美術批評家、岡林洋は「近代美術は延々と美術の本質を作家の内面の秘密に求めてきたが、現代においては、作品形成の最大のファクターは、作家の内面や気分ではなく、むしろ作品を取り巻いている現場の外的状況である」と川俣は考えている、という。この具体化が「ワーク・イン・プログレス・プロジェクト」(成長するプロジェクト)だろう。作品は「作者」が作り「鑑賞者」が鑑賞するという鑑賞者の受動的構図が一方にあるが、現代では鑑賞者の参加可能な機会=「場」が必要であり、そこに作者と鑑賞者とのコミュニケーションが生まれ、新しい発見があるとみるべきだろう。今春、東京都現代美術館にて開催の「通路」がその典型か。「通路」見学時はここまで知らなかったが、今後はこの視点に立って川俣を見たいものである。
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大竹伸朗(1955〜)
82年初個展をギャルリーワタリ(ワタリウム美術館の前身)にて開催。ここで一躍ニューペインティングの旗手となる。また、大竹はデザインの分野でも早くから注目され、86年にはエディトリアル・デザインの権威であるADC最高賞を受賞している。大竹に少し遅れてニューペインティング・ブームの中で日比野克彦もデビュー。89年には「アゲインスト・ネイチャー」展が全米を巡回した。ここでは森村、宮島の評価が圧倒的で大竹をしのいだそうである。「なぜか?」である。大竹は新しい感覚を駆使して具象、抽象絵画、各種立体、写真、映像作品、タピスリー、エッチングなど多岐にわたり制作活動に励む。内容は驚くほど強烈である。面白い、着想がいいと思われる作品が多く見られる。森村、宮島との評価の違いは「大竹の作品だ」と明確に判るものがないからだろうか。この意味で大竹はまさに「芸術家そのもの」、自分を売り出そうとする戦略に無頓着だと思えてならない。これだけの作品を制作していながら残念至極である。大竹をしっかり説得できるナビゲーターが必要なアーティストかもしれない。今後は国内だけでなく海外での高い評価も期したいものである。
岡崎乾二郎(1955〜)
造形作家、批評家。絵画、彫刻、レリーフ、建築、ランドスケープデザイン、舞台美術等手広く制作活動している。82年パリ・ビエンナーレ招聘以来、数多くの国際展に出品。02年にはセゾン現代美術館にて個展。同年ヴェネチア・ビエンナーレ建築展の日本館ディレクターほか。常に先鋭的な芸術活動を展開している。
92年以降アクリルによる絵画を制作する。絵画では長いタイトルに特徴がある。対になった作品が多い。色彩こそ異なれ、同じパターンが散見される。サラッとした描き方、こってりした描き方などさまざまである。石膏、セラミックの立体作品は絡み合った、ひねりこんだ感じだ。これがそのまま絵画に表現されているかのよう。立体作品を見てから絵画を見ると納得できるかもしれない。
絵画について美術評論家、天野一夫は「・・・モダニズムがやり残したままに流産してゆくことに対して、それを単に放置することなく、批判的に今日的に奪い取って独自の表現契機を設定して意識的に持続させる営為にほかならない」という。同様に思う。また岡崎の建築、ランドスケープデザイン部門の作品が特に興味を引いた。ぜひ見て岡崎の全貌を知りたいものである。
中村一美(1956〜)
80年代初頭から絵画で奮闘。81年の初個展で抽象表現主義とシュポール・シュルファスの影響を受けた作品を発表した。すると画廊(パレルゴン)の藤井雅実に「こんな下手な作家は生まれて始めてみた。絵をやめろ」と言われたとのこと。当時はニューペインティングがまさに出ようとしていた時期だったからだろう。その後2年間は発表をやめ「Y型」絵画の開発を進め、抽象表現主義を超えうるオリジナルなものを準備したという。ここが中村の転換期だったのだろう。95年に実物の「破庵」を制作し、これを写真に撮り公表、絵画に取り入れる。絵画の制作プロセスを説明し手の内を披露したようなものだ。その自信たるやすごい画家だと思った。「Y型」にしても、「破庵」にしても風景の抽象化だろう。斜線が表現の基礎になっているそうである。
06年秋、愛知県立美術館開催の「愉しき家」展では、大きな木製「破庵」の実物を展示。同室壁面には絵画「破庵」2点の展示。実物と絵画の対比ができ中村絵画の真髄を見るようだった。2点の絵画は全く異なるが1点は迫力に圧倒され、もう1点は斜線の魅力を痛感した。
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宮島達男(1957〜)
87年にLED(発光ダイオード)を使った作品が登場。90〜92年に《Death of Time》を。99年のヴェネチヤ・ビエンナーレで《Mega
Death》、「柿の木プロジェクト」を制作。07年には「Art in You」を打ち出しワークショップ・キャラバンにて全国4箇所をめぐる。そこで《Counter
Skin》、《Death Clock》を制作。08年には20世紀を総括して内面の世界を表現する《HOTO》を制作する。《HOTO》は宝塔で、「命」を意味するそうである。「法華経」の「見宝塔品第11」に「宝石で作られた巨大な塔が地面から湧き出て、空中に浮かぶという。その姿は光り輝いている」と。鏡面に大小カラフルなLEDの貼付された巨大な塔は、見事でまさに宝塔そのもの。これまでの作品の集大成に相応しいものだ。水戸芸術館でこの作品の展示室に入った途端、あまりの素晴しさに驚きを隠せなかった。
作品を動態的に見ると《Mega Death》により過去の戦争の反省を学び、「柿木プロジェクト」によりアートの力で平和を希求する。コンセプトが素晴しい。LEDを使って「生」と「死」を表現、さらに20世紀全体を表現するところが見事である。コンセプチュアルな作品であろう。しかもわかりやすい。国際的評価も高い。
日比野克彦(1958〜)
82年に在学中「日本グラフィック展」でダンボールに描いた作品がグランプリを獲得。84年京橋のINAXギャラリーほかで個展開催。これを契機に舞台芸術と関係する。舞台を通して得た新たな表現手段を個展に応用し、85年にはパフォーマンス、さらにパブリックアートに発展するなど広い分野で活動。95年ヴェネチヤ・ビエンナーレに出品する。
86年から89年にかけて個展の開催はほとんど行っていない。ここが彼の美術家への転換点だったのではないか。87年に開催された「人形たち展」に参加、ここでは細い鉄の棒で作られた数点の人体作品にスポットライトがあてられ、その影が壁面に投影される。日比野のテーマの一つである「線」の三次元的広がりを表現しているそうである。実物とその影との2重写しが面白いし発想も素晴しい。近年では、各地で一般参加者とその地域の特性を生かしたワークショップを開催。活動の幅を広げる。多くの人とのコラボレーションの中で制作すると「意外にも日常散らばっている何の変哲も無い会話の中から、面白いワードを探してくることができる」という。ワークショップの中からいいものが発見できているんだろう。
総合してみるといろいろ見えてくるように思う。森村は独自の路線に一層の磨きをかけ突っ走っているように思える。舟越は最近作「スフィンクス」により人物追求のより本質に迫っているのではないか。川俣、宮島、日比野はそれぞれ内容こそ異なるが、プロジェクトやワークショップを進め、鑑賞者とのコミュニケーションを通していいアイディアやヒントなどを引き出しているのではないか。中村と岡崎とは80年代に登場したニューペインティングよりモダニズム系絵画に興味があるのではないか。どちらがいいというものではない。大竹は素晴しい作品が多いのでその中から誰でも分かる大竹作品の特化をしてほしい。宮島の「Art
in You」、「柿の木プロジェクト」はボイス(1921〜86)の社会彫刻の考え方に非常に近いと思う。また川俣の「ワーク・イン・プログレス・プロジェクト」も既成概念の超克という意味でボイスの影響を受けているのではないか。
奈良美智(1959〜)はここに記載しなかったが、村上隆(1962〜)と一緒に検討したい。
わかりにくい80年代は、このシンポジウムによって意外な発見をすることができた。このシンポジウム開催に感謝したい。
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著者プロフィールや、近況など。
菅原義之
1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。
ウエブサイト ART.WALKING
・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。
・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。 |
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