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[美術散歩]
美術散歩
「ターナー賞の歩み展」を見る
TEXT 菅原義之
「同展フライヤー表紙」
「同展フライヤー」より
「同展フライヤー」より
森美術館で
「ターナー賞の歩み展」
を見た。興味があったのと現代美術展にもかかわらずイギリス(英国)でポピュラーだと聞き「なぜか?」と思ったからでもある。
ターナー賞は1984年から始まった。50歳未満のイギリス人またはイギリスで活動するアーティストを対象とし、前年に優れた展覧会や作品発表を行ったアーティストを候補者として選出。その中から一人の受賞者を決定する。授賞式はテレビで中継され、新聞を賑わすそうである。今ではイギリスの国民的行事にまで成長したが、その歩みは紆余曲折を経ているとのこと。
時代の流れを
展示はほぼ時代順になっていた。スタート直後の2年間、84年、85年と続けて絵画が賞をとった。一方、美術の流れに目を転ずると80年代には新たな動きとして具象絵画が復活してきた。新しい流れの出現である。それまでアートが絵画から離れ、根元まで追求され極度にわかりにくくなったが、この時代を乗り越えようとする動きだろう。アメリカではジュリアン・シュナーベル、ドイツのキーファー、イタリアのクレメンテなどなど絵画の登場である。ターナー賞もこの流れが反映されたのかもしれない。
その後86年はギルバート&ジョージだった。彼らは「20世紀のアートは難解になりすぎて一般人を締め出してしまった。我々のアートは知識の壁を乗り越えて、多くの人々の生き方(life)に語りかけるのだ」と言う。2人は「生きる彫刻living sculpture」と称して歌を歌った。パフォーマンスの登場である。ターナー賞受賞作品は、世相を表現した大きな写真に着色したものだった。時代の推移が分かるようである。
89年にはリチャード・ロングが受賞。床上に小さな縦長の花崗岩がいくつも環を作るようにきれいに置かれた作品。アースワークを連想させる。また、93年にはレイチェル・ホワイトリード。写真9点と床に整然と置かれた黒い枕木? 両作品ともミニマルアートを思い出させる。リチャード・ロングと同様、やや時代を遡ったかのように感じた。このあたりは審査員によっても異なるだろうし、時代の流れは単線的に推移するものではない。と納得。
96年、97年、99年と映像が登場した。97年のジリアン・ウエアリングの《60分間の沈黙》、99年のスティーブ・マックイーンの《無表情》など両者の内容は全く異なるが、なぜか面白い。わかりやすい。両作品ともウィットに富むものだった。前者は直接的に、後者はまじめさがかえってそう感じさせる。いかにもイギリスの作家らしかった。
2000年ではティルマンスの写真である。作品の大きさ、展示方法、内容など多岐にわたっていた。86年のギルバート&ジョージ、93年のレイチェル・ホワイトリードに続いてこの年も写真だった。写真、映像などが盛んになった時代だったのだろう。
98年はクリス・オフィーリの絵画が登場した。90年代半ばころから具象絵画が見直され始めたのではなかったか。その反映かもしれない。日本では奈良美智がここに入るだろう。
飛んで06年にトマ・アブツの絵画が選ばれた。クリス・オフィーリ以降の絵画再燃の影響かもしれない。そういえば2006年10〜12月にエッセンシャル・ペインティング展が大阪の国立国際美術館で開催された。大半が具象絵画だが、絵画の復活を物語るものだろう。
このように絵画からスタートし、彫刻(立体)、写真、映像など幅広く選択され、再び絵画へなど、時代の流れの行きつ戻りつしながら推移する様子がわかり面白かった。
「同展図録表紙」
印象に残った作品は
デミアン・ハースト
(1965〜)(1995受賞)である。この美術展で最も注目された作品《母と子、分断されて》だった。衝撃的作品である。実物の母牛と子牛が頭部から真っ二つに分断され、大小2つづつケースに入れられたホルマリン漬けである。中にあるのは母子のそれぞれ分断された彫刻作品、白い頑丈そうな枠の大小4つのケースも立派で整然と配置されミニマルアート的。『死』に加えて『分断』でおぞましさが倍加する。それを平気で制作するハースト。そんな意味でマイク・ケリー(1954〜)の
《内臓の飛び出した死骸》
をはるかに超える。新しいタイプのコンセプチュアルな作品かもしれない。
ジュリアン・ウェアリング
(1963〜)(1997受賞)の作品《60分間の沈黙》。30人ほどの警察官が3列に並んだ記念写真風の映像作品であり、警察官は60分間立ち通しだ。見た瞬間「アレッ!」、記念写真なのに人物が動いている、「アッ!」映像だ、と。見たときには人物が退屈そうに動いていた。かなり時間が経過していたようだ。後で考えるとスタート直後の緊張状態、終了前後の疲労、リラックス模様など見られたらもっと面白かっただろう。発想がいい。ただ時間が長すぎた。この映像が60分間続くのだろうか。もしそうなら内容がいいのでもう一工夫してほしいものである。
スティーブ・マックィーン
(1969〜)(1999受賞)の映像作品《無表情》。一人の男(作者本人)が木造2階建を背景に立っている。2階部分に窓があるが戸はない。この家の壁が突然この男めがけて倒れる。男は無表情に立ったままだ。「アッ!」壁の下敷きにと思ったとたん男の立ち位置が窓の開口部にすっぽり当てはまり無事。いろいろなアングルから撮った映像が流れる。撮るアングルによっては壁の下敷きにと思われ、一瞬「ハッ!」とさせられる。平然としている男の様子が魅力的だったし、音声を使わず瞬間に内容を理解させる発想が素晴しかった。映像作品の見本のようなものに思えた。
ウォルフガング・ティルマンス
(1968〜)(2000受賞)、初めてのドイツ人受賞である。何点もの写真が展示されていた。作品の大きさ、展示位置、作品の種類も多岐にわたり、まとまりがないよう。「あっ!そうか」面白い。大きな作品《サークルライン》の魅力に取り付かれた。地下鉄内でつり革につかまっているノースリーブの女性の腋の下をアップに撮ったものだ。一見変な写真だ。いろいろに映る。袖口部分の黒地に白い飾りが題名どおりサークルラインだ。また衣服の黒、腕の肌色、背景の白とからなる3色の色面構成は一種の抽象絵画にも見える。こんなアングルから撮る。見事だった。
トマ・アブツ
(1967〜)(2006受賞)は抽象絵画である。ドイツ出身、ロンドンが拠点。オイルとアクリルを使った反復する幾何学的要素を取り入れた作品である。サイズは48×38cm。決して大きくない。落ち着いた色彩を用い、全体に厚塗りで幾重にも層となりその中に高低(たかひく)を思わせる幾何学模様が編みこまれる。実像の抽象化でなく、先入観を持たず、形がまとまるまで描き続けるそうである。目立たないが、なぜか惹かれる。
このほかにも、
リチャード・ロング
(1945〜)(1989受賞)《スイス花崗岩の環》、
アニッシュ・カプーア
(1954〜)(1991受賞)《Void No.3》、
マーク・ウオリンジャー
(1959〜)(2007受賞)《スリーパー》などが印象に残っている。
ターナー賞効果は
マスコミを巻き込んだターナー賞は今やイギリスの人にとってポピュラーだという。それだけに受賞作品に対する論争や物議も多いそうである。批判はある程度当然かもしれない。保守的見解、芸術についての考え方、年齢差などいろいろあるだろう。批判が多ければ多いほどこの賞に対する一般の関心が強いともいえるだろう。現代美術が定着してきた証かもしれない。この賞は今や国際的影響力を持つとまでいわれている。素晴しいことである。
日本ではどうか。現在でも多くの日本人は現代美術にほとんど関心がない。現代美術というと特別のものと考える傾向があるのではないか。決してそう考える必要はないだろう。流れは、ルネッサンスからバロック、印象派、そして戦後のアメリカを通過して現代に至っている。現時点の美術というだけである。
映画でも最新のものには誰でも関心があるだろう。政治だって、経済だって、スポーツだって何でもそうだろう。今どうなっているかを知ることは誰でも関心があるし、大事なことではないか。美術もそうであって不思議はない。関心のない理由は「なにか?」、「なぜか?」である。「わかりにくい」、「なじむ機会がない」ことが原因ではないか。イギリスでも同様だったであろう。これを乗り越える意味でターナー賞ができた。以来紆余曲折はあるようだが、結果的に一般の人を味方に取り込んだのである。着想に感心せざるを得ない。蓋しやり方であろう。
ターナー賞のような
『世界基準の物差し』
を持った賞を日本にもほしいものである。遅ればせながらも、一般の人たちにとって親しみあるネーミングの賞を設け、マスコミを参加させ、一つのムーブメントにすることが大事だろう。決してむずかしいことではないはず。すでに、VOCA賞、シェル美術賞などなどある。これらの賞の目指す若いアーティスト育成への意欲は素晴しいが、両賞とも平面作品対象であり、やや限られる嫌いはある。現代の美術作品を広く対象にした『世界基準の賞』を持つことが大事だろう。若い有能アーティストの海外流出を防ぎ、日本に魅力ある環境作りをするためにである。実行にはスポンサーの問題、審査員の問題、マスコミ問題などいろいろある。VOCA賞(第一生命)、シェル美術賞(昭和シェル石油)、資生堂アートエッグ賞などそれぞれ立派なスポンサーがついている。現代の美術振興をバックアップしようとする企業はあるであろう。審査員の問題、マスコミ問題だって解決できるはずである。若いアーティスト育成のために、美術環境を活力あるものにするために魅力ある賞を作ることが大事ではないか。世界を視野に日本がアートの中心点の一つになるためにもである。ターナー賞展を見てその重要性を痛感している。
著者プロフィールや、近況など。
菅原義之
1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。
ウエブサイト
ART.WALKING
・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。
・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。
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