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美術散歩

「現代美術史日本篇」を見て

TEXT 菅原義之


「現代美術史日本篇」表紙



 この度、「現代美術史日本篇」(中ザワヒデキ著)が刊行された。A4版91ページ、英訳つき、戦後の日本美術通史書である。決して大冊ではないが、内容はかなり濃密である。21世紀にまで触れているところが見事だ。通して読むとそこにいろいろなことが見えてくる。わかりにくいところがあったがそれは当方の問題であり、全体として関心をもって読むことができた。内容の特に印象の強かった部分を拾ってみた。

1.読売アンデパンダン展の動向
 藤田嗣治の戦争責任論から始まった本書も、60年代に入って日本そのものが安定期に入ったからだろう、美術の分野では民主主義をベースに自由思想がみなぎり、作品にも反映されていった。1949年から始まった読売アンデパンダン展も第13回(1961年)から15回(1963年)に至り、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの結成(1960年3月)と同展への参加もあって急進的な傾向がますます強まった。反芸術である。最後には手がつけられない状態になり第15回をもって終了する結果となった。
 振り返ると第1回から15回までの読売アンデパンダン展は戦後の日本美術界の動向を物語るものだったといえるだろう。

2.もの派の登場
 60年代も後半に入って次第に本来の姿に戻ったのであろうか。落ち着いた作品が登場してきたように思える。同時にコンセプチュアルな傾向がすすんだということができるだろう。日本概念派、もの派の登場である。
 本書によると「“もの派”とは芸術表現の舞台に未加工の自然的な物質・物体を、素材としてでなく主役として登場させ、モノの在りようやものの働きから直かに何らかの芸術言語を引き出そうと試みた一群の作家たちを指す」(評論家峯村敏明による)と。戦後日本の美術史の中では関西の「具体美術協会」、関東の「もの派」はマイルストーンであろう。

3.還元主義の後退から多様性へ
 「日本概念派は物質を捨象して概念への還元を果たし、もの派は概念を捨象して物質性への還元を果たしたのです。」(「」内は本文)という。
 「6月1日の深夜裏座敷にねていた私は『オブジェを消せ』という声を聞いた。私にとってそれは美術を文章だけで表現せよという意味であることを疑いもしなかった。・・・観念美術が誕生した。」(「」内は本文)とは日本概念派松澤宥の言である。
 もの派も「芸術表現の舞台に未加工の自然的な物質・物体を、素材としてでなく主役として登場させ、・・・」と。これも概念を捨象して物質性への還元であろう。
 これらの還元主義によって傾向はコンセプチュアルな度合いを深めていった。その後この還元主義の後退により当然のこととして多様性が招来されたとのことである。
 1972年以降李禹煥の《点より》、《線より》と題した絵画、野村仁の物質の消滅過程の記録の作品化、六本木クロッシング展でで迫力ある作品を提示した榎忠の《ハンガリー国へハンガリ(半狩り)で行く》(1977〜78)などもこの多様化時代の中に入るとしている。
 歴史法則主義をとる中ザワは、ここまでが歴史循環史観(表現主義→反芸術→多様性)による20世紀後半の第一サイクルで「日本の戦後のモダニズム」であるという(後出図参照)。

4.日本のポストモダニズム
 「1980年代初頭に世界の諸文化を席捲し、ニューウエーブと呼ばれたポストモダニズムの熱狂は、日本においても激発しました」という。さらに「ポストモダニズムは一種の反モダニズムでした」としているが、これまでの還元主義の行き過ぎから脱還元主義が誕生したとみることができるだろう。世界の動向もほとんど同時期だったであろう。
 ポストモダニズムの動きを中ザワは、美術界内部と外部とに分け、内部では矮小な動向へと押さえ込まれたとしているが、外部ではイラストレーション等の分野で欧米の美術界以上の加熱を見たとのこと。レトロ趣味が横行し脱前衛の提唱、ヒエラルキーの無効化が叫ばれハイカルチャーとサブカルチャー境界の曖昧化、理性より感性重視などの考え方だろう。

5.その後の動向
 「ポストモダニズムは理論的には規範の欠如による多様性と平板化を惹起するはずですが、実際にそうなったのは1995年頃以降のことです。」と記している。
 中ザワの循環史観上では1980年代初頭は表現主義的傾向として「ヘタうま」ほかを挙げ、1985年頃以降反芸術的傾向への偏りが見られるとして「東京ポップ」を、1995年以降多様性の再臨として「快楽絵画」、「スーパーフラット」、「方法主義」を挙げている。
 具体的に反芸術的傾向から多様性移行への端緒となったのは奈良美智の絵画かもしれない。 1995年7月の美術手帖は特集を「快楽絵画」とし、表紙に奈良の作品を載せ、内容でも最初に持ってきている。中ザワは、奈良の「好きだから描く」と言うごく普通のことにより、「東京ポップ」と通底していた反芸術のドグマが消失し、以後の時代は「何でもあり」の多様性へとシフトしていったという。文字通り多様化時代の到来であろう。
 これが循環史観による20世紀後半の第二サイクルで「日本のポストモダニズム」であるという(後出図参照)。

「方法主義」について
「方法主義」の詳細については、HPを参照ください。

  6.スーパーフラットと方法主義
 ここが中ザワにとって最も重要部分だと思うが、最後に村上隆の「スーパーフラット」に関する概念についてポストモダン肯定派であるとしている。これに対し中ザワの「方法主義」はポストモダンに反旗を翻し、ポストモダニズムの後にはコンセプト中心のモダニズムが再現されるとし、それを還元主義のモダニズムであると記している。循環史観の上では当然のことかもしれない。難しい問題であり、今後のことは不明なるもどのような展開が示されていくか見続けていきたいものである。

 本書の道案内でどうやら現代にたどり着くことができた。以上が歴史法則主義の立場をとる中ザワの考え方であろう。「図式的な単純化に偏る危険があるとしても、・・・」と記しながら、一部前に触れたが、まとめとして戦後の歴史を次のように分析する。

  「表現主義」 「反芸術」 「多様性」
日本の戦後のモダニズム 具体 ネオ・ダダ もの派と概念派と美共闘
日本のポストモダニズム ヘタうま 東京ポップ スーパーフラットと方法

 見方によってはわかりやすい一つの歴史観であり説得力のある面白い見方だと思っている。今後の日本美術の流れを注目していきたいものである。
 戦後日本美術の歴史を通史として記載したものは、私の知る限り、戦後初めてである。なぜこれまでなかったのか今でも不思議に思っている。何人かの通史書があれば、歴史観の違いをみることができるだろう。もしそうであればより面白いし、より参考になることだろう。今後に期待したい。ともあれ、本書により多くのことを知ることができた。著者のご苦労に心から感謝したい。

 
   
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

ウエブサイト ART.WALKING

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 

 

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