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森村泰昌(1951〜)の「美の教室、静聴せよ」展(横浜美術館)はユニークなものだった。全員が貸与されたイヤホーンで説明を聞きながら鑑賞する。内容は授業形式でわかりやすかった。
ホームルームから始まり、1時間目から6時間目までの授業で「なぜこのような作品を制作したか」、「美をどのように考えたらいいか」などを具体的に説明し、現代美術に親しみを持たせようとするもの。この説明で森村作品について多くを知ることができた。授業内容については「森村教室に入って」を参照いただきたい。
森村の作品《フェルメール研究》は、原作《画家のアトリエ》の中の人物が置き換わるだけだとこれまでは表面的に考えていた。実際にはアトリエそのものを制作するなど手の込んだ仕事を経て始めて完成する。制作の大変さがよくわかった。
ベラスケスのマルガリータ王女の衣装が展示されていたが、この衣装制作にはかなり手がかかっただろう。その衣装の上部からメークした森村が顔を出し、あたかも王女の衣装を着ているかのように写真を撮る仕掛けもわかった。マルガリータ王女扮する森村はいかにも不似合いだった。森村の狙いはその作品に入り込むことであって、似ているかどうか、不似合いかどうかはあまり重要ではないんだろう。
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これに反して、この種の作品第1号、ゴッホの自画像はよくできていた。かぶっている帽子をどのように表現するか、衣装も同様で制作に苦心したようだが、帽子の展示を見て細かい部分を一つひとつクリアしている。なりきるための苦心を痛感した。ゴッホの自画像森村版は写真作品だが、絵画だといってもいい程よくできていた。写真の上から透明なメディウム?を塗布している。作品があたかも油絵具のように思えた。
レンブラントも全く同様。作品によってはまるで森村がレンブラントだといっても知らない人は間違えてしまうほどよくできていた。
ゴッホの部屋にセザンヌの静物画森村版(写真作品)があった。これを見てとっさに国立新美術館のグランドオープニング展で見た森村作品を思い出した。そこには7点のセザンヌ風作品が展示されていたからだ。セザンヌの意図するところを森村は7点の写真作品で見事に表現し、しかもそのうちの1点は、森村が何個ものりんごとして入り込んでいた。見た瞬間、言葉をいっさい使わずセザンヌが表現しようとした複数視点からの描法と作品に自分が入り込む描法、この2点を見事に表現しているのがわかった。当美術展の多くの展示作品中でこの作品は注目を引くものだった。今回の展示作品はその中の森村の入り込んだ1点ではなかったか。国立新美術館グランドオープニング展については「20世紀美術探検展」を参照いただきたい。
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森村は、美術家としての自分を振り返って心情を吐露していた。美術家として必要な「見る」「作る」「知る」は必ずしも優れているとは言い切れなかった。たまたま「なってみる」のはどうかということに気がついて、そのものに「なる」ことを始めた。と。この説明はわかりやすかった。上手だと思えた。
また、「美しいとは何か」をフリーダ・カーロやマネの作品を引用して具体的に説明していた。ただきれいだという意味でなく、広い視点で見るのはどうかと提案。白い肌の女性はきれいだが、黒い肌の女性もきれいだとか。女性の美、男性の美以外に両者を備えた美があってもいいではないか、両性具有の美とでもいうものだろう。固定観念にとらわれずに広い範囲で考えるべきだとの指摘もわかりやすかった。
森村は1951年生まれ。「なる」作品第1号のゴッホの肖像作品を制作したのが1985年で森村34歳。1980年代はシミュレーショニズム(注1)の広がっていった時代だといわれている。時代背景からしてこのような考え方が森村には当然あっただろう。森村は単に時代背景をもとに絵画を制作するのではなく、そのものに「なる」、「入り込む」を見出したことは、タイムリーな選択だったし、大きな発見ではなかったか。今では見慣れているが、作品の中に入り込むことを最初に見出したとすれば発見である。入り込んでそのものに「なる」、「なりきる」。ゴッホの肖像作品森村版を見ると、第1作の心意気が伝わってくる。また、各作品から感ずるのは、シミュレーショニズムというフィルターを通して完全に独創的森村版が出来上がっていた。
(注1)メディアで使い古されたイメージや、誰もが知っている絵画作品など既存のイメージを自身の作品に意識的に盗用(アプロプリエーション)する美術運動で、70年代末から80年代のニューヨークを中心に流行した。(「現代美術を知るクリティカル・ワーズ」フィルムアート社発行より一部抜粋)
シミュレーショニズムというとアメリカのシンディー・シャーマン(1954〜)が思い出される。両者ともタイプは異なれシミュレーショニズムの代表的なアーティストであろう。森村に言わせれば、3歳年下の兄妹アーティストだそうである。
シャーマンの場合は映画のスティール写真からイメージを借用する「アンタイトルド・フィルム・スティル」シリーズから始まって幾多の変遷を経て「ヒストリー・ポートレイト」シリーズに至っているとのこと。その都度大きな話題を提示したアーティストだったといえるのではないか。シャーマンの「ポートレイト」シリーズは森村の作品と異なり、美術史上の有名作品は比較的少ないようである。このシリーズのスタートは1988年からだそうで、森村の「なる」作品第1号制作が1985年だから森村のスタイルが参考になっているのかもしれない。
現代美術というと一般にはまだなじみにくい。現代美術展の入場具合を見てもわかる。森村は自分の作品を通して「なぜこのような作品を制作したか」、「美とはどんなことだろうか」などを具体的にわかりやすく説明し、一般人と現代美術との距離を縮めようとしていた。この美術展だけで現代美術理解に直接繋がるわけではないが、少なくともこれを見た人たちにとっては関心をもって面白くみることができただろう。この意味でこの美術展は大きな役割を果たしたと思う。ユニークないい美術展だった。
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著者プロフィールや、近況など。
菅原義之
1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。
ウエブサイト ART.WALKING
・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。
・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。 |
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