topcolumns[美術散歩]
美術散歩

カルチャー・ショック

TEXT 菅原義之

 以前のことだが、4月21日は私のガイドの日だった。2時3〜4分前に常設展示室に行った。お客様は7、8名おられた。
 まず、さいたま市出身の画家“高田誠”のコーナーからスタートした。
 油彩9点の概略を説明した。高田の絵は点描法をとるが、新印象派のスーラ、シニャックの点描とは違うなどもあわせて話した。お客様はそれなりに関心を示していた。

 次のコーナーはいわゆる“現代の美術”のコーナーであった。
 このコーナーに入ったとたんに薄笑いしている二人連れの女性がいた。あとで分かったことだが、その時はなんと不思議なものかという笑いのようであった。
 内容は主に“もの派”の作品が多く展示してあったといっていいであろう。
 そこで「美術というと何を思い出しますか。」と2〜3の人に聞いた。
 お客様の一人が、小声で、「絵ですか。それと彫刻なども」という。
 引き続き次のように話した。
 戦後、美術は大きく変わり、その範囲を急速に広げていった。したがって美術をこれまでのように“絵画”、“彫刻”と考えるととてもついていけない。
 この部屋には、1960年代以降大きく変わった考え方の中で活躍した作家の作品が展示されている。この傾向は日本だけでなく、世界的に展開されていった、と。

 まず、高松次郎の『布の弛み』から始めた。
 これまでの表現方法にとらわれない独特の見方を作品に導入した作家であると断った上で、この作品は、大きな四角い布が床に置かれている。本来フラットに置かれるべきだ(=感ずること)が、中央部分が膨らんでいて何か変だと思う(=実際)。つまり“感ずること=認識”と“実際=見ること”の“ずれ”を強調している。
 これだけでは分かりにくいと思い、あわせて『影のシリーズ』も写真を示して同様に話した。結果はどうであったか。何人かは面白いという素振りだった。

 次は、かの有名な関根伸夫の『位相―大地』(写真展示)である。
 1968年(昭和43年)に神戸の須磨離宮公園で野外彫刻展が行われた。そのときの作品である。直径2.2メートル、深さ2.7メートルの円柱状の穴を掘り、その脇に掘った土を利用して同形の円柱を作った。この作品を見たほとんどの人たちは、あまりにも衝撃的な作品に感動したそうである。残念ながら現在は埋めてしまって写真で見る以外に方法はないが、実物を今見ることができたらやはり大変な衝撃を受けるのではないか。賛同が聞かれた。


李禹煥『線より』(埼玉県立近代美術館蔵)1980(昭和55年)(130×162cm)

 そのあと、李禹煥の作品『線より』(1980年)の前に立った。
 「この作品どう思いますか。」と尋ねた。反応がない。
 これだけのキャンバス(130×162cm)に、左上部から右へ太い横線、右下部分に太い縦線である。2本の紺色の線を引いただけの作品(左図)である。一筆で、一気に描いている。かなり精神を集中しないと描けないだろう。そこにかなりの精神性を感ずる。
 また、それだけに余白が大きい。広い余白に意味をもたせるかのように2本の線を描く。いかにも東洋的な感じがする。
 彼は幼少時代から“書”をやっていたそうである。そうみると“書”の影響がいたるところに出ているように思うがどうか。たとえば、横線を上に描き、縦の線を下に描く、つまり横線が先で、縦線が後とみることができる。また、下の線は、書の入り方を連想させる。
 横線、縦線の配置が絶妙である。構図の上でこれしかないように配置されている。たとえば、この作品を見ないで、多くの人が「作品として縦横を問わず2本の線を描け」と言われたら、何人かの人はこの作品に近い構図を選択するのではないか。
 また、キャンバスの大きさとの関係も配慮されている。やや横長のキャンバスであり、横線がやや長め、縦線は短めに描かれている。
 上記の見方は、一例であり、この作品はいろいろにみることができるであろう。ここまで話したところ、この日はなかったが、その前月だったかいくつかの意見が出た。
 そして「この作品は、少ない表現で、多くのことを物語っていると言えるのではないでしょうか。」で締めくくった。

 終わって、ご挨拶すると50代であろうか、2人の女性が私のところに来て、
「今日はよかった、すっかりカルチャー・ショックを受けてしまいました」と言うではないか。「どんなところですか」と聞くと驚いたことに“現代美術作品”だという。
 何年かガイドをやっていて“現代美術に関心をもつお客様”がいるとは、初めての経験だったので、自分自身にも参考になることだし、その作品のところに行っていろいろ話した。
 このコーナーにあったすべての作品に感心したという。特に李禹煥の『線より』だ。この作品を見ているといろいろなことが連想される。すばらしい作品だと思う。李禹煥の作品に近寄って“とりこ”になったような言い方である。
 また、吉田克郎の『650ワットと60ワット』、これはなにを意味しているかと、もう一人が聞いた、小清水漸の『作業台』にも関心を示していた。
 そのもう一人の女性は、はじめこのコーナーに入ったとき、“未だ片付けていないのか”と思ったとのこと。大きな白い布が床にじかに置かれている(高松次郎作)、電線が無造作にとぐろを巻くように置かれている(吉田克郎作)、木の肌をむき出しにした木枠のようなものが置かれている(菅木志雄作)などを見てそう思ったのであろう。それで笑っていたのだった。
 この2人は、埼玉県の坂戸から地階で開催されていた“女流工芸展”を見に来たところだったという。作品に分かれがたいという素振りで「また来たい」と言って帰った。

 分かりにくい現代美術に素直に入っていったお客様の様子が分かり、つくづくこのような機会が必要だと感じた。誠によい一日であった。


著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生まれ、中央大学法学部卒業。生命保険会社勤務、退職直前の2000年4月から埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

・アートに入った理由
 1976年自宅新築後、友人からお前の家にはリトグラフが似合うといわれて購入。これが契機で美術作品を多く見るようになる。その後現代美術にも関心を持つようになった。

・好きな作家5人ほど
 作品が好きというより、私にとって興味のある作家。クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。




topnewsreviewcolumnpeoplespecialarchivewhat's PEELERnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.