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「地方/中央」
TEXT 中村千恵

東京に来て2ヶ月が経とうとしている。美術に触れる機会の多さといったら、地方とは比較にならない。たとえば継続可能性という要素だけで考えても地方での活動はとても重要だ。しかし、都市と地方の差は現状では圧倒的である。今回は考察の前にひとまずわたしの今週1週間を、地方出身者にとっての東京の美術状況のサンプルとしてまないたの上に乗せてみようと思う。
 
 
6/14(火)
火曜日は毎週、仕事のあと横浜は関内・旧関東財務局ビルにて行われているトリエンナーレ学校に行っている。これはトリエンナーレをサポートしようという意思のある市民と情報を共有するといった目的で、横浜トリエンナーレに参加するアーティストのこれまでの活動の紹介や、現在進行中のトリエンナーレに関するさまざまな情報を得られるもので、夜7時から概ね90分間映像を見ながら川俣ディレクターが講義する。川俣ファンのわたしにとっては、毎週川俣さんのお話を聞けるなんて、なんて都会は恵まれているんだ!!という感じで、仕事先の東京・田町から横浜までの距離・交通費なんて微々たるものだ。その点で地方出身者と東京在住者の意識に差があって、東京在住者は横浜を「遠い」と考えているようである。
だが、この日から在籍する神保町・美学校にてNPO法人AESS主宰の講義シリーズが始まったため、そちらに行った。7月半ばまでの短期間で、元BT編集長・伊藤憲夫さんによる「アート・コレスポンダンス」というものである。生徒それぞれの自己紹介に、ゲスト講師の元名古屋市美術館学芸員・木方幹人さんとかけあいをしながらたっぷり時間をかけて美術論議をする。プロのスノーボーダー、絵を描いていて分子に興味のある方、パフォーマンス系の方、詩人など、会社員に囲まれている今の生活の中ではなかなか出会うことのない濃ゆい生徒ぞろい!美学校の古びた教室で、伊藤さんがリアルタイムで経験した60年代の前衛の話などに濃ゆいメンツが口を出しながら進む熱い講義を聴いていると、不思議な気分になった。これも現実。
 
 
6/15(水)
この日も仕事のあと、AESS主宰の火曜日の講義とセットで始まった講義シリーズ「アートを語る」を聴きに美学校に行く。ただし、三田駅で会社に財布を忘れてきたことに気付き取りに戻ったため、講義には30分以上遅刻。社会状況と芸術の表現形態・内容を結びつけながら、美術史の流れを概観するといった講義内容。4人の生徒はわたしを含め3人が「アート・コレスポンダンス」とかぶっているが、茨城から来ている方もいた。講義内容は少々むずかしめだけど少人数なので質問もしやすい。先生の小倉正史さんは頭の中がとても整っている方のようで、どんな質問をしても脱線せずちゃんと元のところまで戻ってくる!
 
 
6/16(木)
映画を見に行く予定が急遽延期になってひさびさの直帰。
 
 
6/17(金)
17:45に仕事を終えて、美学校に行く。職場から三田駅まで徒歩30分、都営三田線で神保町まで10分強。18:30から開始(のはず)のアートプロジェクトラボに間に合ったためしがないが、いつもは先生も遅れてくるので大丈夫。先生は今度の横浜トリエンナーレのキュレイターの一人・山野真悟さんだが、今後もう忙しすぎて福岡に帰れなくなりそうだからとこの日は福岡に戻っていた(*1)。そのためこの日はいつもと違う先生で、時間ぴったりに始まったようで遅刻になってしまった。
先生はこの週3回会うことになった木方幹人さんで、ひとりの作家について深く知る、というのがこの日のテーマ。ダムタイプ古橋悌ニと中原浩大について習った。80年代の京都市芸術大学の作家たちのつながりがわかった。
(*1:今回のトリエンナーレは、川俣正という一人のディレクターのもとに三人のキュレイターがいるという構成。山野氏の活動拠点は福岡県である。)
 
 
6/18(土)
用事で新宿へ行ったついでに初台・オペラシティのミュージアムショップで立ち読み&ワコウワークスオブアートに行く。東京ではオペラシティで『REAR』(東海地方の美術批評誌)が買えることが分かってひと安心。離れていてもやはり地元の動向は気になるから。それから谷中のスカイザバスハウスでこの日が最終日のジュリアン・オピー展を見てから、探しているものがあったのでアメ横に寄ってから御徒町から帰ろうと上野公園方面へ向かう。その途中東京芸大美術館前で見かけたポスターで、今そこでMAVOの展示があっていることを知り、無料だし、と見ることにする。するとそこで福岡でお会いしたことのあるMさんに会った。Mさんは大学の先生で(※わたしの行っていた学校ではない)、北九州でアーティストといっしょにRE/MAPというプロジェクトを行なっていたことがあり、北九州で学生だったわたしはそれに参加していたのだ。RE/MAPのときMさんが「中心と周縁」ではない在り方についてお話しをされていて、それはわたしの地方志向の基になっている。そのMさん自身は、今は東京の学校に移られた。
その後恵比寿のタケザキフロアも行きたかったが一休みしているうちに眠ってしまい行かれなかった。ギャラリー、日曜もやると良いのにと思う。
 
 
6/19(日)
この日が最終日のふたつの展覧会「秘すれば花」「ストーリー・テラーズ」を見に六本木ヒルズへ。ついでにキャパの写真展・フィリップスコレクション展・「都市の模型展−東京を視る−」・MAM プロジェクト 003 ROR(レボリューションズ・オン・リクエスト)も見ることができた。
 
6/20(月)
再び六本木ヒルズへ。この日は東京在住の職場の子といっしょに。都市模型展も景色も、解説してもらうとまた見え方が変わってくる。20時から電灯を消してみようという運動のあった日で、光る腕輪をつけてもらい電灯を落とした室内から夜景を見ることになった。20時前には気付かなかった、月が満月であることに気付いたし、色とりどりの腕輪の光がとびかっていて室内もなかなかファンタジック。
 
6/21(火)
第二回目にして「アート・コレスポンダンス」をお休みし、仕事のあと横浜に行く。BankArtにてミーティングキャラバンの記録を出版するための編集作業をしているN-markを手伝うためである。N-markは以前名古屋港でオルタナティブスペース”KIGUTSU”を運営していたがそこを失くすと、全国のオルタナティブスペースを巡りそこでの活動や問題点を知るためのオープンミーティングの旅に出た。それがミーティングキャラバンである。より中央へと移動するのではなくその人が今いるその場所で活動することは、困難が多いがこれからおもしろくなる可能性を秘めていると思う。
名古屋の@portの活動などで目にしたことのあるYさんがBankArtでスタッフをしていた。現状ではこうして活動の場を求めてより都市へと美術の人材が地方から流出している例は多いだろう。

著者プロフィールや、近況など。

中村千恵(なかむらちえ)

1979年、愛知県豊田市生まれ
2000年、北九州で美術に出会う
現在、東京で派遣しつつ美学校アートプロジェクトラボに通っている。

   

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