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アート+ 
Izumi Kato "Untitled" 2004
wood,charcoal,acrylic
h.205 x w.56 x d.52 cm
photo:Keisuke Yamamoto
加藤泉展「裸の人」
SCAI THE BATHHOUSE(2005.4.9−2005.5.7)


わたしにとって今回が初見である加藤氏の作品は、顔にろうのようなものが塗ってある木彫りの人形だった。人形ひとつひとつの存在が、顔に使っている半透明の素材のせいか異様で生々しい。頭が大きくて、目が飛び出していて、鼻の低い人形たちは、大人の表面をはいで中身とひっくり返したような感じだ。人の顔は自分では見えないのに表情があったり美醜の基準があったりして他者の視線による社会的な意味を持つ。それに対し内側の顔は、他者から見た他者としての自分ではなく主体としての自分の顔なのだろう。大きな頭とアンバランスな子供のような身体を持つその人形たちは、現代社会の環境の中で生きる私たちの姿ではないだろうか。また、会場の壁によりかかるようにして作品が展示されていて、自分が作ったのではない環境の中で、環境に寄りかかって生きているような、不器用で自立できない存在に感じられる。

これらを、幼稚でいびつな現代人を「醜い」と批判するための彫刻だとは思わない。それへの愛情も感じる。でもこれらの作品を見て、現代人は今ある環境の中でバランスをとるだけでは環境が変わったらそれだけで崩れてしまうような危うい存在でしかなくて、人間として必要なバランスを持てないのではないかと思った。社会環境まずありきでそれに合わせて経済的に・人間関係的に生き残っていくだけではなく、個人個人が自分の人間性を考えて生きたほうが、人間が生きやすい世の中になるだろうと思った。


中ザワヒデキ展「芸術特許」

ギャラリーセラー、名古屋(2005.5.7-2005.5.28)


中ザワ氏の方法主義以後の作品展、と思いきやそうではなく、過去にとった特許を作品化したという。この作品を買った人は特許料の分配金を得られるそうだ。美術作品を買って利益を得られる?この仕組みも不思議で興味深いが、この作家が自ら開発し特許をとってしまうほど必要性を感じたビットマップ3Dについて考えてみる。

会場ではビットマップ3Dの仕組みを、自分で作画してみたり、電球のついた模型や、五目並べで遊んで理解できるようになっている。作画してそれを動かしていろんな方向から見てみると、それが立体であることがよく分かる。彫刻を、描いているようなものだ。しかし動かせるデータを見せるわけではなく、出力されたもの、つまり一方向を選んだものを作品としている。彫刻には全方向の視点があり得、作家が視点を選ばないのに対し、平面の絵画では作家の視点はひとつだ。このビットマップ3Dのソフトで絵を描いて遊んだあと作品を見たら、それが一側面でしかなくてほんとは全方向があり得るという前提が頭にあるため、それが作品というより作品の記録の一部に思えた。

絵画に描かれているものではなく目の前にあるカンヴァスとか物質としての絵の具そのものを提示するミニマル・アートでは、絵画が彫刻のように物質としての厚みを持つようになる(フランク・ステラなど)。描かれている対象にかけられたフィルター(作家の視点)をはずそうとしてミニマル・アートが物質に向かったのに対し、中ザワ氏は描かれた内容を立体として存在させるという逆のアプローチでそれを試みたと言えるのではないだろうか。

TEXT 中村千恵

著者プロフィールや、近況など。

中村千恵(なかむらちえ)

1979年、愛知県豊田市生まれ
2000年、北九州で美術に出会う
現在、東京で派遣しつつ美学校アートプロジェクトラボに通っている。

 

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