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I AM STILL ALIVE
Copyright 2000 Toyota Municipal museum of Art. All rights reserved.

旧本社(左)と新本社(右)。遠近でわかりにくいが、旧は4階建てで新は15階以上。

本社から車で1分ほど北、工事中のレクサス店
"Todayシリーズ"
Copyright 2000 Toyota Municipal museum of Art. All rights reserved.

河原温、スローネス

河原温氏は1932年、愛知県刈谷市に生まれた。当時はトヨタ自動車はまだ発足しておらず、前身である豊田自動織機の工場内の一角で、豊田喜一郎がエンジンを研究していた。河原氏の父親はこのトヨタ自動車創業時に自動車開発に携わっていた。ただそれだけの理由だが、今や世界的大企業の礎の空気の中で成長した河原氏の巡回展が日本では唯一豊田市美術館だけで開催されたのを機に、トヨタの企業史に重ねて何か見えてくるか試みたい。(河原温「意識、瞑想、丘の上の目撃者」展は、2005.1.8〜2.27に開催された。)

河原氏の作品中もっとも知られているものは、"Today"シリーズでしょう。これは製作されたその日の日付をカンヴァスに記したものでデイトペインティングと呼ばれ、1966年から現在に至るまで継続されている。ゴシック体で記されたそれらは近寄って見ても均一に塗られており無機質に見えて人の存在を感じさせない。まるで機械から自動的に出てくるもののように見える。でもそれがその描かれた日付なのだと知ったとき初めてそれが具体的な物質に思え、その日にその絵に向かい合って製作していた人の存在が急に生々しく思えて、目に映るカンヴァスが深みを帯びる。

車の動力であるエンジンは人が作った道具だ。自動車の運転は、道具を動かすことだ。でもわたしにとって運転は、自動的に動くものを、なだめすかして制御しているような感覚。それはけっこう象徴的で、身の回りの情報や物、スピード、ライフスタイル、価値観に日々巻き込まれている現代社会での生活全般がそうだと言って過言ではない。河原氏の作品はそれに対し、道具、時間を人の手に取り戻すような力強さを持っている。あれほど人工的で人間を感じさせないのにも関わらず。《I AM STILL ALIVE》は1969-2000に「I AM STILL ALIVE」とだけ記された電報を世界のどこかから電信したもので、展示では卓上にその電報が並べられていた。大量の、ひきちぎられた電報の用紙は、配達した人の手を感じるだけに河原温の体温を少し遠く感じもし、その日を生きるという行為をどこかで繰り返している生々しさも感じる。そっけない人工物で人間的な生々しさを、なぜだか衝撃的に伝えてくる。

戦前、自動車と言えば外国製だった頃、豊田喜一郎はそれを日本車にすることを志向した。世界的大企業と言って差し支えないほどの規模を誇るこの会社も、人が手作りでエンジンを作って、歯車の仕組みを人が人に伝えて、はじまった。乗用車製作を中断させられた二次大戦が終わったあと、喜一郎が志向したとおり日本車が普及していく。今では海外にまで進出し、海外において成功したトヨタのLEXUSブランドが2005年には日本に逆輸入される予定である。昔ながらの質素な建物に代わる大きなガラス張りビルの本社も完成した。エンジン手作りで一から始めた時代は遠くなった。大量生産された物はただの情報のように思えるけど、自動車(に限らず、すべての大量生産された商品)も、どこかの誰かが、その人の人生の中のある具体的な時間を費やしたものなのだ。昨今のスローネスの流行にもつながる「置き換えできない個」に向き合う姿勢を、大量生産されたものにも持つことができそうに思えてくる。人工物にふりまわされずに人間が主体でいるために、努力をはらいたいと思う。

TEXT 中村千恵

河原 温 −意識、瞑想、丘の上の目撃者−

2005年1月8日(土)〜2月27日(日)
豊田市美術館

著者プロフィールや、近況など。

中村千恵(なかむらちえ)

1979年、愛知県豊田市生まれ
2000年、北九州で美術に出会う
現在、働く美術好き
将来、美術を仕事にしてる(目標)

 

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